二宮尊徳の教え 其の十一 最高の孝
孝というのは、親の心をもって心として、親を安心させることにある。子たる者は、常日頃の行いや心がけがしっかりしているなら、たとえ遠国で奉公し父母に会えなくても、褒賞を受けた者がいると聞いて、その父母はそれがわが子でないかと … 続きを読む
孝というのは、親の心をもって心として、親を安心させることにある。子たる者は、常日頃の行いや心がけがしっかりしているなら、たとえ遠国で奉公し父母に会えなくても、褒賞を受けた者がいると聞いて、その父母はそれがわが子でないかと … 続きを読む
世間の人は、貧富や驕(必要以上に贅沢なこと)、倹(無駄遣いをしないこと)について、口では簡単にいうが、何をもって貧と富、驕と倹を区別するのか、はっきりしていない。天下には、もとより大も限りがなければ小も限りがない。十石を … 続きを読む
儒教における「循環」や仏教における「輪廻転生」というのは、すなわち天理のことである。「循環」とは春は秋になり、暑は寒になり、盛は衰に移り、富は貧に移ることをいう。したがって仏教はこの「輪廻転生」を脱して極楽に往生すること … 続きを読む
植木を植えるときに、根を切ったら、必ず枝葉も切り捨てなければならない。 根が少なくて水を吸う力が弱いなら、根の力に合うようにしなければ枯れてしまうのである。 これは例えば、人の財産も、稼ぎが欠け、家株(その家が持つ特権、 … 続きを読む
人と刃物をやり取りするときは、刃の部分を自分のほうに向けて、柄の部分を相手に向けて差し出すが、これが道徳の根本というものである。これをよく押し広めていくなら、道徳は完全なものになるだろう。人々がこのような意識を何事にも押 … 続きを読む
富と貧は、もとは遠くに隔たったものではない。ただ少しの隔たりである。それを分ける根本は、ただ一つの心得にある。貧者というのは、昨日のために今日勤め、去年のために今年勤める、ということをするから、いつまでも苦しんで成功しな … 続きを読む
すべて物の根源になるものは、必ず低く見られる。しかし、低く見られるからといって、それを軽視するのは間違いである。たとえば、家屋には、土台があってはじめて、床や書院があるようなものだ。土台は家の根源である。 さて、さまざま … 続きを読む
神道は、まず日本がはじまって以来の「はじまり」の大道であり、皇国の根源の道である。豊葦原(とよあしはら:日本の美称)をこのように、みずみずしい稲穂の実る国、安らかな国として治められた大道である。この「はじまり」の道が、真 … 続きを読む
大道というのは、例えると水のようなものだ。よく世の中を潤して、停滞しないものである。しかし、このように尊い大道も、文字にして書物にしただけでは、世の中を潤すことなく、役立つことはない。これは例えれば水が凍っているようなも … 続きを読む
世の中を見てみなさい。一銭の柿を買うのにも二銭の梨を買うのにも、芯がまっすぐでキズのないものを選んで取るだろう。また、茶碗ひとつ買うにも、色のいいもの形のよいものを選び撫でてみて、音を鳴らして聞き、選りに選んで取るものだ … 続きを読む