菜根譚に学ぶ「気品はどこから育まれるか」

2009 年 12 月 10 日 Published by noguchi under ブログ

貧家も浄(きよ)く地を払い、貧女も浄く頭を梳(くしけず)れば、景色は艶麗ならずと雖も、気度は自からこれ風雅なり。士君子、一たび窮愁寥落に当るも、奈何ぞ輙ち(すなわ)自から廃止せんや。

参考:菜根譚 (タチバナ教養文庫) 吉田公平

あばら屋でも綺麗に掃き清め、貧しい女でも綺麗に髪をとかしておれば、見た目はあでやかでなくとも、気品はもちろん風雅(すてき)である。
一人前の男として、たとい、困窮や失意にみまわれたとしても、どうしてすぐに投げやりにしてよかろうか。

「品」というものは、富んでいるから必ずあるものではなく、貧しくとも日々の心掛けによって備えることができるものだということです。

そうだとするなら、恵まれない環境においてどうして自分を疎かにすることができるでしょうか。

品格を養うために修養するわけではありませんが、庸言庸行(日常の言葉、行い)を正し、慎ましく生活していくことを心掛けたいと思います。

菜根譚 (講談社学術文庫)
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当たり前のことを当たり前のように(庸徳・庸言)

2009 年 3 月 23 日 Published by noguchi under ブログ

中庸の書に、孔子が君子のふみ行うべき道は四つあり、私はいまだその一つもうまく行えていない。と語っている章があります。

第一には、自分の子にこうあってほしいと望むことを、自ら行ってそれで親にお仕えするということ。
第二には、自分の家臣にこうあってほしいと望むことを、自ら行ってそれで君主にお仕えするということ。
第三には、自分の弟にこうあってほしいと望むことを、自ら行ってそれで兄にお仕えすること。
第四には、自分の友達にこうあってほしいと望むことを、まず自分のほうから先に行うということ。

いずれも、まだよく出来ていない。

(中庸:第三章三節)

とても、身近で分かりやすい徳目ですが、それを当たり前のこととして一つ一つ実行していくのはやはり難しいようです。

平凡で当たり前の徳(庸徳)を実行し、平凡で当たり前のことば(庸言)を慎重にして、そうやって過ごしていきたいと思いました。

大学・中庸 大学・中庸
金谷 治

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