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鍵山秀三郎氏の講演を聞いて

土曜、日本論語研究会が主催する勉強会に出席してきました。

今回のゲストスピーカーはイエローハットの創業者である鍵山秀三郎氏でした。
日本を美しくする会」の活動でトイレ掃除が有名です。
(会津にもあったんですね!!→「会津掃除に学ぶ会」)

自分さえ良ければいいという人間が多くなった」というご指摘から講演が始まり、ご自身の苦労された体験を交えながら人が人であるために大切なことを色々お話されました。

お話の中で印象的だった点を列挙します。

人間の美徳(下村湖人「青年の思索のために」)

一、忍耐
一、謙譲
一、調和
一、勇氣

これらの土台は「」と「思いやり」です。
この土台がなくなってしまうと、それぞれ次のような悪徳に落ちてしまいます。

一、忍耐→怨恨
一、謙譲→卑屈
一、調和→妥協
一、勇氣→粗暴

孟子の四端

一、惻隠…思いやりの心
一、羞悪…不正や悪を憎む心
一、辞譲…譲って謙る心
一、是非…正しいこと、間違っていることを判断する心

この四つを備えた人を人というのであって、これらの心がなければそれは人と呼べないのではないか。

自らを律する

人は車と同じで、いくら能力が高くても制御できなければ凶器に過ぎない。

いちいち法律や規則、規約に照らし合わせれていたのではもうお終いなのであって、照らし合わせられる前にそれ以上厳しく自分を律して(制御して)いなければならない。

教育の三大原則

鍵山先生、森信三先生の書に習いて曰く、教育の原則は三点。
一、時を守る
一、場を清める
一、礼を正す

人はどうしたら救われるか

人というものは、自分のことしか考えていないと不安が大きくなる。
人のことを考えて行動が出来ると不安は小さくなる。

辛い状況に置かれたとき、助かる道は二つ。
一つ、さらに辛い思いをしている人、困っている人を救っていくこと。
一つ、楽しみを先に延ばすこと。(楽しみが先にあると心にゆとりが出来るとのこと)

講演を終えて

とても優しく穏やかな語り口はまるで生き仏のようでした。聞いているだけで心が洗われていきます。が、聞いただけではやはりダメですね…。これらの鍵山先生の言葉を心に刻み、日々の生活に落とし込んでいければと思います。

鍵山先生大推薦。
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天からの大任―人が成長するとき

孟子天の将(まさ)に大任を是(こ)の人に降さんとするや、必ず先ずその心志を苦しめ、その筋骨を労せしめ、その体膚(たいふ)を餓せしめ、その身行(ふるまい)を空乏せしめ、その為さんとする所を払乱(ふつらん)せしむ。心を動かし性を忍ばせ、その能くせざる所を増益せしむる所以なり。

天が重大な任務をある人に与えようとする時には、必ずまずその人の精神を苦しめ、その筋骨を疲れさせ、その肉体を飢え苦しませ、その行動を失敗させ、行おうとする意図と食い違うようにさせるものだ。これは天がその人の心を発憤させ、性格を辛抱強くさせ、できなかったことをできるようにさせるための試練である。

天から大任を預かり、人が成長するときには必ず試練が与えられると孟子は言っています。

このような試練を未だ受けることなく人生を過ごしてしまっています。
自分は大任を命じられるような器でないことを天が明白に告げています。

大任をやり遂げる以前に、己のことすらままならぬ身。

よくよく慎しみ、目の前のこと大切にして歩んでいかなければと思いました。

武士道の名誉―苦痛と試練に耐えるために

不名誉はその人を大きく育てる

新渡戸稲造「人を人たらしめている部分、そしてそれを差し引くと残るのは獣性しかない」という考えは当然のことと思われた。その高潔さに対するいかなる侵害も恥とされた。そして「羞恥心」という感性を大切にすることは、武士の幼少時の教育においても、まず始め行われた。(新渡戸稲造)

「人様に笑われるぞ」「体面を汚すなよ」「恥ずかしくないのか」「恥を知れ」という言葉が子供に対して良く使われました。

恥は、すべての徳、立派な行い、および優れた道徳の土壌となるものでした。

孟子曰く「羞悪の心は義の端なり」とあります。
悪を恥じ憎む心が義の始まりだと言っています。
また、江戸時代の儒者、新井白石は「不名誉は樹の切り傷のごとく、時はこれを消さず、かえってそれを大ならしむるのみ」と言い、その人格を傷つけられることを拒絶しました。

名誉はこの世で「最高の善」である

新渡戸稲造・名誉は「境遇から生じるものではなく」、それぞれが自己の役割をまっとうに努めることにあるのだ、ということに気付いているのは、ごくわずかの高徳の人びとだけである。

・若者が追求しなければならない目標は、富や知識ではなく、名誉である。
(新渡戸稲造)

「錦を飾る」までは「故郷に帰れない」「帰ってくるな」というのは、数十年前の若者、また送り出す家族のスタンダードでした。

また、もし名誉や名声が得られるならば、生命自体は安いものだとさえ思われました。したがって生命より大切とする根拠が示されれば、生命はいつでも心静かに、かつその場で捨てられました。

名誉は、自己の役割をまっとうに努めることにあるのだ。という稲造先生の指摘はとても新鮮でした。
目標は高く持ちつつも、分をわきまえて自分のやれることをしっかりと努め上げる。
これが名誉の始まりであり、最高の善行だと心得、決して富や知識を目標にすることなく、今後も精進していきたいと思います。

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新渡戸稲造博士と武士道に学ぶ会

武士道の誠―なぜ「武士に二言はない」のか

新渡戸稲造孔子は「中庸」の中で誠をあがめ、超越的な力をそれに与えて、ほとんど神と同格であるとした。すなわち「誠なる者は物の終始なり。誠ならざれば物なし」と。
そして孔子が熱心に説くところによれば、誠は次の通りである。まず至誠は広々として深厚であり、しかも、はるかな未来にわたって限りがない性質をもっている。そして意識的に動かすことなく相手を変化させ、また意識的に働きかけることなく、みずから目的を達成する力を持っている。

と、稲造先生は解説しています。

中庸の書において、誠は「天の道」「天命」として基礎づけられました。孔子は論語の中で、「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と絶賛しています。

武士にとって、嘘をつくこと、あるいは誤魔化しは、等しく「臆病」「弱さ」とみなされました。武士にとって「臆病」「弱さ」は不名誉であり、「二言」つまり二枚舌のために「死」をもって罪を償った物語は数多く残されています。よって、「武士の一言」は、断言したことが真実であることを十分に保証するものでありました。それが武士の誇りであったことは想像に難くありません。

「言」が「成」と書いて誠ですが、有言実行はもとより、「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり」という孟子の言葉を噛みしめて生きていきたいと思います。

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新渡戸稲造博士と武士道に学ぶ会

武士道の義と勇

義…信頼の徳

義とは、信頼の徳です。
人間関係を保つための信義の徳。
人間関係を保つための真っ直ぐな狭い道です。

孟子曰く「仁は人の安宅なり、義は人の正路なり」

「仁」は住み心地のよい家のように安らかな身の置き所であり、「義」は人の踏み行うべき正しい道である。

また、孟子曰く、「仁は人の心なり、義は人の路なり。その路を舎てて由らず。その心を放ちて求むることを知らず。哀しいかな。人、鶏犬の放つことあれば、即ちこれを求むるを知るも、心を放つことあるも求むるを知らず。」

「仁」とは人の心であり、「義」とは人の道である。その道を捨てて歩むことをせず、その心を失って顧みようとも思わない。悲しいことだ。人は、鶏や犬がいなくなれば、すぐ探し求めるのに、道を捨て、心を失っても取り戻そうとしない。

勇…義によっておこる勇気

勇は正しいことをする勇ましい心であります。

孔子曰く「義を見てせざるは勇なきなり」

勇気とは正しいことをすることである。

また、孔子曰く「勇ありて義なきは乱を為す」

「勇」があっても、そこに「義」がなければ世を乱すもととなる。

このように、「勇」は「義」によって発動されるのでなければ、徳行の中に数えられる価値がないとされました。

道徳的勇気と肉体的勇気

死に値しないことのために死んだり、ただ闇雲に危険を冒すことなどは「勇」と呼ばず、それらは「犬死」とか「蛮勇」として蔑まされる対象となりました。

武士道の中では、大事に当たって奮い起こす勇気である「大義の勇」と、思慮分別なくただ血気にはやる浅はかな勇気である「匹夫の勇」は明確に区別されました。

静的勇気と動的勇気

「果敢な行為」が勇気の動的表現であるならば、「平静さ」とは、勇気の静的表現であります。

真に勇敢な人は常に落ち着いていて、決して驚き慌てず、何ものによっても心の落ち着きが乱されることがあってはなりません。そのような人物を真に偉大な人物として賞賛するのが武士でした。

最後に、新渡戸稲造先生は、勇気と名誉はともに価値ある人物のみを平時に友とし、戦時においてはそのような人物のみを敵とすべきことを要求しているのである。と説明し、勇気が高みに達するとき、それは「仁」に近づくと締めくくっています。

義と勇は表裏一体であり、切って離しては存在する価値がないものだと学ぶことができました。義と勇の関係は、文と武の関係であり、文武両道の本当の意味がここにあるのだということを改めて感じました。

胆力を養う努力を続け、正しい道を踏み生きていけるよう、常に気を張って生きていきたいと思います。

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新渡戸稲造博士と武士道に学ぶ会

生きる上で押さえる5つの道と3つの徳

中庸の書では、五達道三達徳という、世の中どこでも通用する5つの道と、世の中どこでも通用する3つの徳があると言います。

世界中いつでもどこでも通用する道として五つのことがあり、それを実践するための手段として三つのことがある。
君臣との間の道、父子との間の道、夫婦との間の道、兄弟との間の道、そして友達同士の間の道、この五つが、世界中にあまねく通用する道である。
また、知と仁と勇との三つが、世界中にあまねく通用する徳(もちまえ:身についた才能)であって、五つの道を実践するための手段となるものである。

(中庸:第八章)

五達道、孟子で言う五倫と同じ五つの人間関係。
この五つの具体的な人間関係が人倫(人として従う道)を律する徳目として掲げられています。

また、三達徳とは、論語で言う「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」の三つの徳。

  • 知者は、道理を熟知しているので(その是非、正邪を判断することができるので、事に臨んで)惑わない。
  • 仁者は、道理に則っているので(一点の私心もなく、己の分を尽くし人としての道を行うので煩悶もなく、すべての物事に対して)憂えない。
  • 勇者は、道理を弁(わきま)えているので(心が大きく強く、道義にかない虚心坦懐であるから、何事に遭遇しても)尻込みしない。

知仁勇の三つを弁えたなら、わが身の修め方がわかる。わが身の修め方がわかれば、人を治めるその治め方もわかる。人の治め方がわかれば、天下や国や家の治め方もわかる。

(中庸:第八章)

基本となる人間関係を大切にして過ごし、知仁勇を少しでも弁えて生きていけるよう慎んで生きたいと思いました。

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金谷 治