2009 年 4 月 22 日 |
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益友と損友を見極め、積極的に益友と関わり大切にする
交友とは自分が交際する友人のことで、択ぶとは多くの中から選び出すという意味である。同じ先生の下で学ぶ人、同郷の人、年が同じくらいの人、自分と交際してくれる人があれば、みな友人として大切にしなければならない。しかし、友人には損友と益友があるから、その違いを見極めて選ぶということが必要なのである。友人の中に損友がいたら、自分の力でその人のよくない面を正しい方向へ導いてやらねばならない。だがもし益友と称すべき人があったら、自分のほうから交際を求め、どんな事でも相談して、常に兄弟のように交わるのがよい。世の中には、益友ほど巡り合うことが少なく、獲がたいものはないから、一人でも益友があったら、何をおいても大切にすべきである。
(参考:橋本左内「啓発録」)
損友と益友を見極めて、損友は正し、益友とは積極的に交際せよと最後の心得にて説いています。
飲食、歓楽、行楽で親しくなった友人は、普段は互いに親友だと肩を組んでも、平穏無事のときに、わが人格を向上させるための役には立たないし、問題が生じたときも、救ってくれる者でもない。このような、損友とはできるだけ会う機会を少なくし、遊興への誘惑に負けぬ強い意志をもち、馴れ合いすぎて道義心を汚すことのないように、注意しなければならない。そして、何とか工夫してその友人を正しい方向へ導き、文武に関心を持つように仕向けることも、友人としての道である。
さて、すぐに心安くなれる損友と違って、益友とは、悪いところを遠慮なく注意してくれる友人をいう。自分の過ちを指摘し、戒め正してくれこそ、自分では気がつかない誤りや不足している部分を改め補うことが、可能となるのである。そのため、益友からそのような忠告を受けることを嫌ってはならない。
良い友人は良い友人を呼び、悪い友人は悪い友人を呼びます。折角、良い友人と付き合っても、自分が自身に甘く、遊興にふけるようなら、損友だとみなされ、良い友人も離れていってしまいます。悪い友人と出会うことがあっても、自分の徳が優れたものなれば、感化は人に及ぶということがあるかもしれません。結局は、自分を磨き、高めることが基本にあり、その中で友人を求めていくということが慣用なのだと改めて思いました。
最後に、益友を見定めるポイントが五つ紹介されています。
- 厳格で意志が強く正しいか
- 温和で人情にあつく誠実であるか
- 勇気があり果断であるか
- 才智が冴えわたっているか
- 小事に拘泥せず度量が広いか
これらは、全く自らにもそうであるかと問い続けなければならないことだと思います。
友人を選ぶ大切さを、自らを高める大切さと同様に考え、己の修養に励んでいきたいと思いました。
2009 年 4 月 21 日 |
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優れた人物の立派な行いを習い、実行する
学とは“ならう”ということで、優れた人物の立派な行いを習い、自らもそれを実行していくことを言う。従って、先人の忠義や孝行の立派な行いを習っては、直ちにそれを慕いまねし、自分もそうした人々の忠義孝行に、決して負け劣るものかと努力することが、学ということの第一義である。
(参考:橋本左内「啓発録」)
志を立てたときの聡明さや道徳心が失われることのないように、学に励み、より志を太く逞しくするようにと述べています。
“学”の文字の意味を誤解している人が多い。読書し、知識を得ることが学と思っている人がいるが、そうではないと一喝し、学問の本旨とするところは、忠孝の精神を養うことと、文武の道を修業することの二つであると説いています。
本を読み、学んだ気になっていた自分を恥ずかしく思います。自ら“実行”できてこそ学んだと言え、実行が伴わない内は、それは学んだとは言えません。知っているだけでは、知っていると言えません。まさに、“知行合一”の精神を説いているのだと思います。
次に、“勉”、つとめるというのは、自己の力を出し尽し、目的を達するまではどこまでも続けるという意味を含んだ文字であると説明しています。何事によらず、強い意志を保ち続け、努力を重ね続けなければ、目的を達成することはできない。まして学問は、物事の道理と筋道を解釈し明らかにするものであるから、世の中の実際に役立つ学問とするには、その意志、努力、押して知るべしである。
成功者に「どうして成功したのですか?」と問うと、決まって「成功するまで続けたからです。」と返ってきます。誰でも正しい思いで、続けさえすれば、必ず実るはずなのに、実らない人がいるのは、“継続”ということができないからに他なりません。決して諦めず、続けることが、成し遂げるための唯一の答えなのかもしれません。
学問を始めたら、それを鼻にかけることなく、出世や富に心を奪われることなく、才や知を誇ることなく、自ら用心し慎むべきだと最後に忠告しています。
ついつい鼻にかけたくなってしまいがちですが、自らを戒め、修養し、世のため人のためになるよう学び続けていきたいと思いました。
2009 年 4 月 20 日 |
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心の向い行くところを定め、絶えずその決心を失わないよう努力すべし
志とは自分の心が向かっていく先である。一度決心したからには、真直ぐにその方向を目指し、迷わず進まなければならない。聖賢君子・英雄豪傑になろうと決意したら、聖賢豪傑らしからぬところを毎日取り去る努力をすべきである。どんなに才能が足らず、学識の乏しい者でも、最後には聖賢豪傑の地位に到達できるはずである。
また、志を立てる近道は、聖賢の考え方や歴史の書物を読んで、その中から深く心に響いた部分をメモし、常に目に触れるところにおき、自分を省みることである。また、志を立てた後も、学問に励み、より一層太く逞しくすることが大切である。
(参考:橋本左内「啓発録」)
一度気を奮い起こしたならば、しっかりと志を立てることが慣用だと説いています。
志を立てなければ、やる気も空回りし、どこに向ってゆけばいいのかわかりません。志を立てる上で注意すべきことは、「目標に到達するまでの道筋を多くしないことである」と言われています。道筋を一本に決定しておかなくては、まるで戸締りのない家の留守番をした時のように、盗人が方々から忍び込み、とても一人では勤まらなくなる。もっとも留守の家の番人なら、たくさん人を雇えば何とかなるが、自分の心の番人は人を雇っても意味がない。よって、自分の心を一筋に決めて、守りやすくしておくことが大切である。と例えています。
まさにその通りだと思います。
志を立てるということは、生きる道を一本に絞る覚悟であり、留守を狙う泥棒の如く迫り来る誘惑を振り払い、絶えず志が揺らがぬよう努力し続けなくては大成しません。
志は、呑気で安楽に日を送り、心がたるんでいる状態では、決して立つものではないと語っています。困難や苦悩にぶつかる。発憤して奮い立つ。書物を読んで大いに悟る。先生・友人の教えに感銘を受ける。そうなどして立ち定まります。
そんな機会を得ることができた今、志をしっかりと立て、弛まぬ努力と学習を重ね、しっかりと大成させなくてはならないと気が引き締まりました。
2009 年 4 月 17 日 |
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恥を知り、恥をかくまい、人に負けまいという強い気持ちを持ち続ける
気とは人に負けまいと思う心。即ち負けじ魂であり、恥辱を知ってそれを悔しく思う気象のことである。それを振うというのは、常にそうした心を持って、その精神を奮い立て、奮い起こし絶えず緊張をゆるめず油断のないよう努力することである。
(参考:橋本左内「啓発録」)
おさな心を捨て去り、いざ学問や武芸を学び始めたら、人には負けていられないという負けじ魂が必要であると説いています。
武士は、富や出世の誘惑があっても、生死に関わる問題や、いかなる困難に直面しても、決して信念や節義をかえない大勇猛・大剛強の気象を持っていたから、人々はその意気に感動し、その忠義や勇気を賞賛して尊敬したのであり、それを士気と呼びました。
そんな気象を見習い。多くの素晴らしい先人や、友人の活躍に負けじ魂を奮い立たせ、また、自分がアクションを起こすことで、他の人へ負けじ魂を発揮してもらえるよう切磋琢磨の関係を作っていきたいと思いました。
また、「恥を知る」という日本の良き美徳が薄れていた(恥を晒す事がネタとなるなら進んで恥を晒していた)自分としては、どういう生き方が高尚であり、どういう生き方は恥を晒しているのか、しっかりと認識し、恥を晒す自分を許さず、絶えず緊張を解かないよう意識しなければならないと感じました。
2009 年 4 月 16 日 |
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子供じみた甘えた心を捨て去れ
稚心とは、おさな心のことであり、すなわち子供じみた心である。遊びに熱中し、甘いものを貪り、怠け楽な方へと流される。それらは子供だから許されることであり、13、14歳といった学を志す年齢になって、その気持ちが少しでも残っていようものなら、何をしても上達しないし、天下第一等の大人物にはなれる筈もない。立派な人物になるためには、第一番に稚心を去らねばならぬと考える。
幕末の秀才、橋本左内は14歳のときに、このように書き記しています。
自分はどうであるか。稚心を捨て去れているのか。
仕事や日常生活に甘えは無いだろうか。
楽な方、楽な方へと流されていないだろうか。
楽な方を選択してしまいがちな自分がいることを忘れずに、改めて厳しく生活していきたいと思いました。