武士道とは何か・武士道の起源

2009 年 8 月 18 日 Published by noguchi under ブログ

新渡戸稲造の「武士道」を読んで学んだことをまとめていきます。

武士道の基本概念(ルーツ)

仏教・・・死生観

仏教は武士道に、運命に対する安らかな信頼の感覚、不可避なものへの静かな服従、危険や災難を目前にしたときの禁欲的な平静さ、生への侮蔑、死への親近感をもたらしました。

一流の剣術師匠(柳生宗矩)は、一人の弟子が自分の技の極意を習い覚えてしまったのを見るや「私の指南はこれまで。あとは禅の教えに譲らねばならぬ」と言われたとあります。

神道・・・愛国心・忠誠心

主君に対する忠誠、先祖への崇敬、さらに孝心などが神道の教義によって教えられた。そのため、侍の傲岸な性格に忍耐心がつけ加えられました。

神道の自然崇拝は、国土を私たちにとって心の奥底からいとおしく思われる存在にしました。また神道の祖先崇拝は、次から次へと系譜をたどることによって、ついには天皇家を民族全体の源としました。

儒教・・・道徳心

武士道における道徳的な教義は、孔子、孟子の教えが源泉となっています。当時、孔子や孟子のテキストが盛んに学ばれました。さらに、武士道では知識のための知識を軽視しました。

「論語読みの論語知らず」ということわざは、孔子の言葉だけを振り回している人をあざけっています。武士道では自然と知行合一が評価されました。王陽明の教えを受け入れるために、日本人の心は特にひらかれていたように思う。と新渡戸稲造は解説しています。

武士道がどのような思想の束から紡ぎ出されてきたのか、知ることが出来ました。

武士道には、明確な起源があるわけではなく、また、ある人物がその生涯を賭けてつくり出したものでもありません。封建制の成立から自然と湧き上がり、何百年にもわたった武士の生き方の結晶でありました。

まさに人々の心に刻み込まれた掟だったことを学びました。

武士道をはぐくみ、育てた社会的条件は消え失せて久しくとも、そのルーツや思想を学ぶことにより、日本人の「倫理体系のかなめの石」となっている武士道を深めていきたいと思いました。

武士道―人に勝ち、自分に克つ強靭な精神力を鍛える   知的生きかた文庫 武士道―人に勝ち、自分に克つ強靭な精神力を鍛える 知的生きかた文庫
奈良本 辰也

ビジュアル版 対訳武士道 ビジュアル版 対訳武士道
新渡戸稲造博士と武士道に学ぶ会

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インドに仏教を広める日本人・佐々井秀嶺上人

2009 年 7 月 27 日 Published by noguchi under ブログ

ここ数日の間に2度ほど目、耳にした人物がいましたのでご紹介いたします。

初めてその人物を知ったのが、致知という雑誌での今月号の特集記事。
昨日、禅寺の方丈様とお話をしている際に話題に上がったのが2度目。

インド仏教界の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺上人です。

今年の5月、6月と44年ぶりに日本へ帰国したということで、
各種メディアで取材されたり、講演が行われたりしているようです。

方丈様も新潟で行われた講演に出向き拝聴されたとのことでした。

講演を録音したCDと、「男一代菩薩道」という本まで貸して頂いたので、
その簡単なまとめをしたいと思います。

インドと言えば、仏教発祥の地。

その地で、仏教を布教している日本人がいるというのは、
なんとも不思議なことのように感じます。

インドだけに仏教徒は結構いるのかなと思っていましたが、ヒンドゥー教徒が人口の8割を占め、
次いで、イスラム教、キリスト教の順となっています。

仏教徒の数は公式では800万人と発表されており、
11億いる人口の中では非常に少数派となっています。

※インドの人口に占める各宗教の割合(2001年国勢調査)
ヒンドゥー教徒80.5%、イスラム教徒13.4%、キリスト教徒2.3%、シク教徒1.9%、 仏教徒0.8%、ジャイナ教徒0.4%

国民の大多数を占めるヒンドゥー教におけるカースト制度の影響は大きく、
3000年前から変わることなく今でも差別が続き、格差が無くならない状態です。

下位カーストが人口の3割を占め、かつ、カーストにすら属さない
不可触民(アウト・カースト)と呼ばれるさらに低い身分の人が1億人以上存在します。

現在のインドでは、多くの差別階級の人間を救うことができません。
インド独立の父ガンジー(バラモン出身)もカーストが前提の思想でありました。

そこで、真の救済を行うべく立ち上がったのが、
アウト・カースト出身で初代法務大臣を務めたインド憲法の父、アンベードガル氏です。

ブッダの教えを葬り去ったのは、インドに侵入したアーリア人であり、
それは先住民であった自分達をカースト制度の下“奴隷化”するためだった事を知った
アンベードガル氏は、インド本来の宗教である仏教で国民を救おうと決心しました。

アンベードガル氏はカースト制度による身分差別の因習を打破するため、
死の2か月前に約50万人の人々共に仏教に集団改宗し、
インドにおける仏教復興運動が始まりました。

そのアンベードガル氏の遺志を引き継ぎ、
仏教復興運動の中心人物となっているのが佐々井秀嶺上人です。

佐々井秀嶺上人は、中学生の頃に原因不明の病で死にかけ、
また様々な業に悩まされ、その後も3度の自殺未遂がありました。
救いを求めて日本各地のお寺を歩き回り、とうとう仏教に救いを見出しました。

数年後、師匠の薦めでタイへ仏教留学しました。
その最中、「龍樹」と名乗る老人からの啓示を与えられました。
インドへ行けということです。

龍樹とはブッダの教えを受け継ぐ14代目の法嗣です。
大乗仏教」を体系化し、「空の思想」を理論化した仏教史上において重要な人物です。

この龍樹菩薩の啓示が、インドで仏教を布教することになるきっかけだと話しています。

それから、インドでの仏教普及活動を自力で始めました。

インドでの仏教普及活動は命懸けです。
ヒンドゥー教徒からの弾圧や迫害は相当とのことで、幾度となく殺されかけたそうです。

それでも、カースト制度の身分差別の実態などを知るほどに、その普及活動は一段と熱を帯び、
今ではインド国籍を取得し、インドの仏教指導者にまでなりました。

現在、公式で800万人と発表されている仏教徒の数は、
政府の政策で明らかにされていないだけで、実は、3億5千万人はいるということです。

まだまだ、やらねばならぬ使命があるといいます。
この帰国を最後に、もう日本には戻らず、
命尽きるまでインドの民のために仏道を貫くとのことでした。

一つの使命の下に、命をかけられるというのは非常に尊いことだと感じました。

自分もこのような大使命の下、この命を使うことができたらと思いました。

そして、大きな使命云々を語る前に、
小さな己を磨く努力を絶やしてはならないことも改めて実感しました。

意識を緩めることなく、前進していきたいと思います。

※注意
文章中のインドの数値は参考にする資料によってマチマチで何が本当かわからないのが現状です(汗

男一代菩薩道―インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺 男一代菩薩道―インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺

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松原泰道老師に学ぶ般若心経 2/2

2009 年 7 月 21 日 Published by noguchi under ブログ

道元禅師曰く「仏教をならうということは、自己をならうなり

仏教思想の根本は「自分を知る」ところにあります。
と、南無の会元会長の松原泰道老師は百歳で説く「般若心経」の中で仰っております。

松原泰道老師現代人は確かに多くの知恵を身につけています。
しかし、その知恵は自動車などのヘッドライトに似て、
前方を照らすことはできても自動車自体、つまり自分自身を明るくすることはできません。自分では自分が見えないのです。
また、車のヘッドライトは、車内を照らせないから車内は真っ暗で新聞も読めません。
現代人の泣き所は、外のことは一応知っても自分自身が読めないということです。
自分の心を明るく照らす室内灯の智慧が欲しいと思います。

老師は「知恵」と「智慧」は違うと仰っております。

知恵」はいわばヘッドライトで、自分の外界のことを観察する頭脳の機能(はたらき)です。
智慧」は室内灯で、自分の内部を観察する心の効用(はたらき)です。

現代人の知恵の光度は極めて高いのに、
智慧の光度は、知恵に比べて甚だしく低いのではないかと指摘されました。

六波羅蜜にもある「智慧」ですが、どうも深遠で捉えどころがなく、
しっくりきていませんでしたが、老師の説明で少し理解することができました。

また、主観・客観という区別は仏教にはないそうです。
その区別を超えて、観察されるそのものに成り切って観察するというのです。

芸術家の観察態度が具体例としてあげられていました。

室町期の画僧の雪舟が鶴を描いていると聞いた人が、
そっと画房をのぞいたら一羽の鶴が右足をあげて立っているだけで、
雪舟の影も見えなかった――

雪舟が余念を交えずに鶴に成り切って鶴を観察する態度が表象されています。

般若心経は、主人公の観自在菩薩(観音様)によって進められていきます。
観自在菩薩とは、先日もあげたように、釈尊の「観察する修業の人格化」です。

「摩訶般若波羅蜜多心経」という経題は中村元博士によると
大いなる智慧の真理を把握する肝心な心構え」としています。

主観・客観に捉われることなくよくよく物事、また己自身を観察し、その内にある真理を見つめ、
般若心経をきっかけに、仏の教えをこの身に養っていきたいと思いました。

その際、何もかも切り離して個人のみのあり方を考えるのではなく、
あくまで社会全体、地球全体のなかでの「あり方」を考えていきたいと思います。

PS.
先々週より、蒲生氏郷が亡き父のために建立した「恵倫寺」(曹洞宗)にて坐禅を始めましたが、
結跏趺坐をすると足が痛すぎて、心を静めるどころの騒ぎではありませんでした(笑

百歳で説く「般若心経」 百歳で説く「般若心経」
松原 泰道

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松原泰道老師に学ぶ般若心経 1/2

2009 年 7 月 19 日 Published by noguchi under ブログ

致知出版社ではお馴染み、現代仏教の第一人者に松原泰道老師がおります。
本日、ふと本屋に立ち寄ると、「百歳で説く般若心経」という本に目がとまりました。

今まで「気持ちが良い」という理由で、
意味もわからず般若心経を読経していましたが、
老師自身による般若心経の読経CD付きということも手伝い買ってみました。

本自体は、黙読したら30分~40分程度で読めてしまう厚さでしたが、
過ぎず、及ばざらず、平易で非常にわかりやすく、
般若心経とはこんなストーリーだったのかと理解できました。

般若心経に関してはこの本しか読んでないので、非常に恐れ多い感想ですが、
まさに、入門書として必要十分という直感を感じます。

その内容とは、
釈尊の修業内容を人格化した架空の人物である観自在菩薩(観音様)が、
釈尊の高弟であり実在した舎利子に対して、一切が「空」であるという真理を説いているストーリーです。

菩薩は修行者(厳密には釈尊)をあらわします。
観(察)自在菩薩というのは、釈尊の修業内容が対象を良く観察し、
その対象に成り切る(相手と一体になる)というものであったことから、
その修業が自由自在にできるという「修業の人格化」が観自在菩薩、または観世音菩薩となりました。

すべては「無常の存在」であるという真実。
すべては「無我の存在」であるという真実。

この二つの真実を総括するのが「空の真理」に外ならないと説いています。

無常」というのは、すべては常に移り変わり、永遠の存在は一つもないのだということ。

無我」というのは、すべての存在は孤立して存在できない、
みな他と関わりあってはじめて存在が可能だということ。

この真理は身体のみならず、心に関する事象すべてに通じる真理であると続けています。

空の真理を悟るには、「観察の智慧」によって得られると言います。

知恵智慧の違いも巻頭に説明があり、分かり易く目から鱗でした。)

最後は、ギャテイ、ギャテイ…という「彼岸へ渡ろうよ…」と記され、
わずか276文字の般若心経が締められます。

解説しているページ数でいえば70ページ程度の本ですが、
ここに挙げきれなかった面白い内容が、短いながらも濃密に紹介されています。

般若心経には興味があるが、内容を良く知らないという人のための入門書には
最適ではないのかなと思いました。

個人的には、この本を読み、新ためて仏道に関する胆識を深めるきっかけ
仏教語で言うなら「」というものを感じることができました。

百歳で説く「般若心経」 百歳で説く「般若心経」
松原 泰道

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白隠禅師の施行の歌

2009 年 6 月 11 日 Published by noguchi under ブログ

江戸中期、臨済宗中興の祖と称される白隠慧鶴

五百年に一人の名僧と言われ
「駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山と原の白隠」などと謳われました。

その白隠禅師が歌った「施行の歌」というものがあります。

今生富貴する人は、前世に蒔きおく種がある。
今生施しせぬ人は、未来は極めて貧なるぞ。
利口で富貴がなるならば、鈍なる人はみな貧か。
この世は前世の種次第、未来はこの世の種次第。
富貴に大小あることは、蒔く種大小あるゆえぞ。
いわんや施し多ければ、果報も多しと計り知れ。
以下略

何事も自分の行い次第だということ。
良い事をしたら、良い結果がもたらされる。
悪い事をしたら、悪い結果がもたらされる。

因果応報が言わんとしていることは、とてもシンプルでわかりやすいと思っています。

今生の境遇がどうであれ、ただひたすら来世に向けての種を蒔き続けられるかどうか。

尊徳先生風に言うと、「種を蒔かずに、果実を取れる道理はない、種がなくして、生まれる動物もいない。天理がそうであるから、人の幸福は、どうして種を蒔かずに得られようか。」といった具合になるのでしょうか。

種も蒔かずに、成果だけを刈り取ろうなどと愚かなことを考えず。
仕事も人生も、まずは種蒔にはじまるということを肝に銘じて、日々生活を送りたいと思いました。

参考:白隠慧鶴『施行歌(せぎょううた)』研究序説

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二宮尊徳の教え 其の四 はじまりの大道

2009 年 4 月 29 日 Published by noguchi under ブログ

神道は、まず日本がはじまって以来の「はじまり」の大道であり、皇国の根源の道である。豊葦原(とよあしはら:日本の美称)をこのように、みずみずしい稲穂の実る国、安らかな国として治められた大道である。この「はじまり」の道が、真の神道である。
神道が盛んに行われてから後、儒教や仏教も取り入れられてきた。神道という「はじまり」の道がまだ盛んに行われていない前に、儒教・仏教が入ってくる道理はあるはずがない。神道つまり「はじまり」の大道がまず行われて、十分に間に合うようになってから、さらに世の中に難しいことも生じて、そのときはじめて儒教や仏教も必要になってくるのだ。これはまことに疑いのない道理である。

(参考:現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉

尊徳先生はこのようにおっしゃっております。
日本は、神道、仏教、儒教の順に教えが栄えました。その際、ベースにあったのは神道であり、神道があってはじめて、仏教、儒教が成り立ったのだという風に説明しております。

例えば、嫁がないときに夫婦喧嘩はない。まだ子供が幼いのに、親子喧嘩もあるはずがない。嫁があってはじめて、夫婦喧嘩があり、子供が成長してはじめて、親子喧嘩があるのである。このときになって、儒教や仏教の教えも必要となるのだ。

秀逸な例えです。尊徳先生は、儒教なら儒教のみ、仏教なら仏教のみというように、それぞれの教えに偏らず、必要な教えを素直に受け入れ、それを世の中の役に立つよう自分のフィルターを通して取捨選択し、事に当たりました。私自信がまさにそうありたいと思う姿です。

現在私は、儒教を中心に学んでいますが、少しずつ根幹に近づくため、続いて仏教、最後に神道という順で学んでいきたいと思っております。このようにして、今日の国家があることの因を知り、恩に報いるよう、ただ学ぶだけでなく、学んだことを実生活に活かし、少しでも世の中に役に立つよう励みたいと思っております。

日本の根幹に触れるよう、平行して「やまとことば」の勉強会もしております。
興味のある方は是非合宿に参加してみてください。

現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉 現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉
渡辺 毅

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南無地獄大菩薩

2009 年 3 月 9 日 Published by noguchi under ブログ

江戸時代の禅僧に白隠慧鶴という名僧がいました。
白隠は、地獄に恐怖し、その恐怖を克服するために仏道修行に励み、悟りを得、その悟りによって人々を救済したそうです。つまり、地獄がなければ、白隠の悟りもありませんでした。ゆえに、白隠がのこした墨蹟のなかには、「南無地獄大菩薩」というものがあります。

地獄というのは、抽象的ですが、自分の不遇や、経済の不況、天災など、具体的な地獄は色々あります。

ただ、その苦を苦として受け止め、その苦しみのなかから、自分を鍛え上げていく。そして自分を鍛えるだけでなく、多くの人々も救うていこう。これが菩薩の生き方だということだ。と、松原泰道老師がエッセイで語っていました。

確かに、人間苦しい状況に立たされると、必要以上に自分を責めたり、また、人に頼りたくなる気持ちが出てきます。それでも、苦を苦として、自らを高められる人間になり、世のため人のためになる人間になれればと、老師のエッセイを読んで改めて思います。

(参考:致知2009年4月号

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