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人間の煩悩について諸々―森信三「一語千鈞」

名誉や利益、飲食や性欲など。人間の煩悩について森信三先生の言葉をまとめてみました。

自分の持っている凡ての知識や経験を、根本的に統一するためには、ある意味では現世的な欲望を捨てねばなりません。そしてこの点こそ、実際問題としては実に容易でないばかりか、この点を真に理解することさえ、実際には容易なことではないのです。

多くの相対的なものを統一するには、一度はそうした相対的な立場を超える必要があるわけです。「超える」というのは、主体的には一応それらを「捨て」ねばならぬ―ということです。

名・利―即ち名誉とか利益とかいうものは、本当は相対的なもの、すなわち真に絶対的なたよりになるものではないにも拘らず、しかもそのことが真に解るためには、われわれ人間は、まさに「死」に近いほどの苦悩を味わいつつ、これらを通過しなければならぬわけです。

人間はいくつになっても、名と利の誘惑が恐ろしい。有名になったり、お金が出来ると、よほどの人でも、ともすれば心に「ゆるみ」が生じる。

人間のシマリは、まず飲食の慎みから―。
次には無駄づかいをしない事。そして最後が異性への慎み。

人間のシマリは、「性」に対するシマリをもって最深とする。しかも異性に対する用心は、何といっても接近しないことである。如何なる人でも近づけば過ちなきを保し難いのが、「性」というものの深さであり、その恐ろしさである。

性欲の萎えた人間に偉大な仕事はできない。
―それと共に、みだりに性欲を漏らす者にも大きな仕事はできぬ。

人間はこの肉体をもっている限り、煩悩の徹底的な値切りは不可能である。そしてこの一事が心根に徹して分かることこそ、真の「救い」といってよかろう。

煩悩の多くは相対的であり、絶対的なものではないから、一度それらを捨てる必要がある。しかし、人間は煩悩を捨てきれるものではないし、死ぬほどの努力でもって、捨て、超えようとした先に、捨てられるものではない、超えられるものではないと悟る。すると、それらを捨てようとするのではなく、見ないようにするのでもなく、適当な距離において、生きていくことが大切だと仰っているのではないかと思います。

近づきすぎると危険であり、遠すぎると力は沸いてこない。
この扱い方、この距離感が非常に難しいのだと思います。

名・利を手にした場合、自分の心のあり方がどう変化するか今はなかなか想像できませんが、そうなった場合でもいつでもこの千鈞の言葉、金言を思い出し、自分を戒め、謹んでおれるようにありたいと願います。

本当の武士はまさにこの通り生きてこられた人たちだと思います。

この難しい命題への実践者、実現者が数多く存在した日本という国に誇りを持つと同時に、自分もまたその一人の実践者でありたいと思います。

森信三 一語千鈞
寺田 一清
致知出版社 2002-11
star森信三先生・・・至福のコトバ

ありがたい 以上に もったいない―森信三「一語千鈞」

「生」の刻々の瞬間から「死」の一瞬にいたるまで、われらの心臓と呼吸は瞬時といえども留まらない。これは「ありがたい」という程度の言葉で尽くせることではない。「もったいない」と言っても「かたじけない」といってもまだ足りない。文字通り「不可称・不可説」である。

森信三「一語千鈞」より。

今まで「生かされている」ということを忘れて何の感謝もせず、それが当たり前のようにのうのうと生きてきた気がします。

「当たり前」だと思っていることに感謝はできません。もったいない、かたじけないなど思いもよりません。しかし、そんな状態では生の真の充実もありえないことだと思います。

寝ても覚めても呼吸をし、心臓は動き、意識せずとも身体全体が自分を生かしてくれている。それは天から与えられたものだ。ということのありがたさ。もったいなさ。かたじけなさ。
不可称不可説不可思議。

天から与えられた受け持ち(天分または分)を確信していない身としては、まずは、その自覚に勤め、感謝の中で精進していくほかなしと心得、日々生活したいと思います。

森信三 一語千鈞
寺田 一清
致知出版社 2002-11
star森信三先生・・・至福のコトバ

仕事に処する三つ秘訣―森信三「一語千鈞」

森信三先生曰く、仕事には三つの秘訣があると仰っております。

一つ、思い切って、とにかく手をつける。「即今着手

二つ、一度着手した仕事は二等分線を越えるまでは「一気呵成」にやってのけること。

三つ、仕上げはまず80点級のつもりで、絶対期限を遅らさないこと。この良い意味の「拙速主義」が大事です。

三つともある程度、心掛けていることではありますが、一番難しいのが一つ目の「即今着手」だと思っています。着手さえ出来れば、一気にある程度まで仕上げることは出来ますが、着手となると「よし!」という気合が必要です。

仕事は追われるよりも、追いかけろ。と良く言いますが、自分のテンション、モチベーションの波をよく解し、次々来る良い波にあわせて仕事をポンポンと即今乗せられるよう訓練しなければなりません。

優先順位の高い仕事にあわせて、波を待つのではなく、来るべくして来る波を予測して、その波に乗りやすい仕事を順に並べておく必要があるのかなと思いました。

森信三 一語千鈞
寺田 一清
致知出版社 2002-11
star森信三先生・・・至福のコトバ

目に見えるものを正せずして―森信三「一語千鈞」

森信三先生曰く、、、

学校の再建はまず紙屑を拾うことから―。
次にクツ箱のクツのかかとが揃うように。真の教育は、こうした眼前の瑣事からスタートすることを知らねば、一校主催者たるの資格なし。

眼に見える物さえ正せない程度で、刻々に転変して止まぬ人間の心の洞察など、出来ようはずがない。

心を正そうとしたら、先ずカラダを正し、物を整えることから始めねばならぬ。クツを揃えること一つが、いかに重大な意味をもつか分からぬような人間は、論ずるに足りない。

偉大な教育者であった森信三先生一語千鈞の「生き方」から抜粋。

ゴミを拾う、クツを揃える。全て子供の頃に躾けられたことですが、いつの間にかゴミが見えたり見えなかったり、クツが意識されたりされなくなったり、と。非常に不確かな意識で生きていることに気付かされます。

ゴミは直ちに拾うもの。クツは必ず揃えるもの。
イスは机の下に戻すもの。トは開けたら閉めるもの。
一つ一つ目の前のことにどれだけ意識が働いているか。

改めて注意が必要だと感じました。

これは学校教育というだけでなく、一企業、一社会としても必要なことだということは、先の鍵山秀三郎氏が既に証明しています。

こうして考えてみると、自分は何を「意識」して生きているのだろうと呆れてしまうほどですが、些細なことから始めたいと思います。

追伸
物が多すぎるといけません。意識が散漫してしまいます。
身辺はシンプルで簡潔であってこそ、一つ一つにまで気を配ることが出来るのではないかと思います。

また、現代は何でもかんでも自動化されすぎていて、やりっぱなしでも後始末がされている状態というのも一つの原因なのかもしれません。
そう考えてみると、便利というのも過ぎると恐ろしいものがあります。

森信三 一語千鈞
寺田 一清
致知出版社 2002-11
star森信三先生・・・至福のコトバ