数学―役に立たない知的活動(アート)

世にも美しい数学入門を読んでのどんぶり感想。
(お茶の水女子大学名誉教授 藤原正彦氏と小説家 小川洋子氏との対談)

数学は芸術
数学は芸術である。アートである。

純粋な数学者というのは「美」と「感動」のために数学をしているのであって、世間の役に立つ定理や公式を生み出そうとしているわけではない。と藤原教授。

芸術作品さながらに生み出された定理や公式が、結果、100年後、500年後、1000年後に有用性が認められ、万有引力やコンピュータなど物理学やエンジニアリングの基礎をなすということがしばしば見受けられるということでした。

藤原教授の挙げた例を眺めるだけでも、数学史には面白いエピソードが溢れています。
今度時間があるときに紐解いてみたいと思いました。

美と醜
芸術というだけあって、定理や公式には「美しい」ものと「醜い」ものが存在するといっています。
見た目や思想がシンプルで素直なものは美しく、逆に複雑なものは醜いとされるようです。
そして、美しい定理や公式ほど、後々役に立つことが多いそうです。

やはりなんでもシンプルが一番美しく応用が利くのですね。

国語と数学
国語と数学は、似て非なるもののように思えますが、
藤原教授は国語はとても重要だと言っています。

偉大な成果を残した数学者は幼い頃から「叙事詩」や「漢文」に親しみ、
暗礁暗誦していたということです。
また、環境の美しいところに育った人物に偉大な数学者が多いとも言っています。

数学は芸術だと最初に言いましたが、感性や情緒力を養うことは非常に大切なことのようです。

西洋と東洋
数学史を紐解くと面白いことがわかります。

西洋人の特徴―「正の数、無限」…目に見えるものに対して数学力が強い
東洋人の特徴―「負の数、無」…目に見えないものに対して数学力が強い

ゼロを発見したのはインド人、負の数を最初に認めたのは中国人だそうです。
数学にも文化・哲学の違いが完全に現れるようです。

以上ザックリですが、面白いなと思う点でした。

数学の話をしているのに「漢文の素読」だとか「抒情詩」という話が出てくるというのも興味深いところでした。

現代は、「実学」に偏り始め、全ての知的活動の根源となる「国語」と「数学」の教育に力が注がれなくなっているのが現状だと藤原教授は嘆いていました。

「目に見えるもの」「実利」にのみ教育が進んでしまうことは東洋に生きる我々には非常に怖いことのように感じます。

一見、今すぐには役に立たない「目に見えない」存在を大切にしていかなければならないことを数学を通じて改めて感じました。

数学は哲学・文化・思想からの閃きです。
言葉は哲学・文化・思想の結晶です。

どちらも、それを使って遊ぶことができます。

足したり、引いたり、掛けたり、割ったり。
詩にしたり、歌ったり。

数字や言葉を使って遊ぶことで低下中の脳力をイッパツ喝入れしなければと気付かせて頂きました。

日記
山岡鉄州、勝海舟、高橋泥舟の幕末の三舟ゆかりの禅道場「両忘菴」の別院が、アメリカ合衆国オレゴンにあるそうで、オレゴンの住職が来若しているということで少しお邪魔してきました。
アメリカで禅に取り組む人達の様子を伺うと、禅のブームがひと段落し、アメリカの禅人口はかなり多くなってきているということと、皆相当真剣(日本の比ではないらしい)に取り組んでいるということが分かりました。
フランスはパリ発信でヨーロッパでも禅への関心が高いとも。
西洋に和の精神が広まるのは喜ばしいことですが、肝心の日本で禅離れが激しい現状。
勿論「国民みな禅がよし」というわけではありませんが、自己を見つめ直す習慣は必要かなと。
特に自分が。という危機感が一層強まった秋雨の夕方でした(笑)


世にも美しい数学入門 (ちくまプリマー新書)

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