白隠禅師の施行の歌

江戸中期、臨済宗中興の祖と称される白隠慧鶴

五百年に一人の名僧と言われ
「駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山と原の白隠」などと謳われました。

その白隠禅師が歌った「施行の歌」というものがあります。

今生富貴する人は、前世に蒔きおく種がある。
今生施しせぬ人は、未来は極めて貧なるぞ。
利口で富貴がなるならば、鈍なる人はみな貧か。
この世は前世の種次第、未来はこの世の種次第。
富貴に大小あることは、蒔く種大小あるゆえぞ。
いわんや施し多ければ、果報も多しと計り知れ。
以下略

何事も自分の行い次第だということ。
良い事をしたら、良い結果がもたらされる。
悪い事をしたら、悪い結果がもたらされる。

因果応報が言わんとしていることは、とてもシンプルでわかりやすいと思っています。

今生の境遇がどうであれ、ただひたすら来世に向けての種を蒔き続けられるかどうか。

尊徳先生風に言うと、「種を蒔かずに、果実を取れる道理はない、種がなくして、生まれる動物もいない。天理がそうであるから、人の幸福は、どうして種を蒔かずに得られようか。」といった具合になるのでしょうか。

種も蒔かずに、成果だけを刈り取ろうなどと愚かなことを考えず。
仕事も人生も、まずは種蒔にはじまるということを肝に銘じて、日々生活を送りたいと思いました。

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