優れた人物の立派な行いを習い、実行する
学とは“ならう”ということで、優れた人物の立派な行いを習い、自らもそれを実行していくことを言う。従って、先人の忠義や孝行の立派な行いを習っては、直ちにそれを慕いまねし、自分もそうした人々の忠義孝行に、決して負け劣るものかと努力することが、学ということの第一義である。
(参考:橋本左内「啓発録」)
志を立てたときの聡明さや道徳心が失われることのないように、学に励み、より志を太く逞しくするようにと述べています。
“学”の文字の意味を誤解している人が多い。読書し、知識を得ることが学と思っている人がいるが、そうではないと一喝し、学問の本旨とするところは、忠孝の精神を養うことと、文武の道を修業することの二つであると説いています。
本を読み、学んだ気になっていた自分を恥ずかしく思います。自ら“実行”できてこそ学んだと言え、実行が伴わない内は、それは学んだとは言えません。知っているだけでは、知っていると言えません。まさに、“知行合一”の精神を説いているのだと思います。
次に、“勉”、つとめるというのは、自己の力を出し尽し、目的を達するまではどこまでも続けるという意味を含んだ文字であると説明しています。何事によらず、強い意志を保ち続け、努力を重ね続けなければ、目的を達成することはできない。まして学問は、物事の道理と筋道を解釈し明らかにするものであるから、世の中の実際に役立つ学問とするには、その意志、努力、押して知るべしである。
成功者に「どうして成功したのですか?」と問うと、決まって「成功するまで続けたからです。」と返ってきます。誰でも正しい思いで、続けさえすれば、必ず実るはずなのに、実らない人がいるのは、“継続”ということができないからに他なりません。決して諦めず、続けることが、成し遂げるための唯一の答えなのかもしれません。
学問を始めたら、それを鼻にかけることなく、出世や富に心を奪われることなく、才や知を誇ることなく、自ら用心し慎むべきだと最後に忠告しています。
ついつい鼻にかけたくなってしまいがちですが、自らを戒め、修養し、世のため人のためになるよう学び続けていきたいと思いました。
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啓発録―付 書簡・意見書・漢詩 (講談社学術文庫 (568)) 橋本 左内 |

