Archive for 1月, 2010

恩を感じる心が偉業を成す?

2010 年 1 月 6 日 Published by noguchi under ブログ

江戸時代後期の国学者に本居宣長がいます。
宣長先生は昼は町医者、夜は門徒への講義をしながら、深夜にかけての執筆活動で、古事記伝や源氏物語玉の小櫛、玉勝間、うひ山ぶみなどの著書を多数残しています。

宣長先生の門徒に大平という後の養子に迎えられた人物がいます。
この大平が「本居宣長は何によって偉い人になられたのですか。」という問いに対して答えた図があります。

恩頼図(みたまのふゆのず)です。
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/onraizu.html

恩を受けた人が図の上に書いてあります。
父母や神様はじめ、学恩を受けた人物や著書など直接教えを受けずとも私淑した人物なども含まれています。

こうした「恩」「お蔭」の精神で学問に励んだからこそ、偉業を為しえたということでしょう。

宣長先生が詠んだ次の二首は伊勢の神宮会館のレストランの膳に添えられる箸袋に記されています。

たなつもの もものきぐさも あまてらす ひのおおかみの めぐみえてこそ」(玉鉾百首)
食べ物となる植物が育つのも、天照大神の恵みがあってこそだ。

あさよひに ものくふごとに とようけの かみのめぐみを おもへよのひと」(玉鉾百首)
朝夕に食事を頂けるのも、食物の神である豊受大神のお陰だということを思いなさいよ。

恩というものは計り知れないものです。
今の自分はどうしてあるのか?と問うと、次々と誰々の「お陰様」が浮かんできます。
それは、宣長先生と同様、、、と言うには憚られますが、父母あり、学恩を受けた師あり、私淑した先人あり、先人の記した書物あり。同志あり。です。

諸法無我。

私は私個人では存在しえません。
一切の縁起によって生かされていることを忘れず、恩の中に生きていきたいと思います。

参考:玉鉾百首(全首)の紹介サイト
【玉鉾百首】―前編― 【その1】
http://blogs.yahoo.co.jp/a313jyuon/2343923.html
【玉鉾百首】―前編― 【その2】
http://blogs.yahoo.co.jp/a313jyuon/2344036.html
【玉鉾百首】―後編― 【その1】
http://blogs.yahoo.co.jp/a313jyuon/2522544.html
【玉鉾百首】―後編― 【その2】
http://blogs.yahoo.co.jp/a313jyuon/2522598.html
【玉鉾百首】―余り歌―(三十二首)
http://blogs.yahoo.co.jp/a313jyuon/2565612.html

大本:http://www2u.biglobe.ne.jp/%257egln/77/7718/771851.htm

『致知』2010年2月号参考:致知2010年2月号

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いま子供たちに何を教えるのか

2010 年 1 月 5 日 Published by noguchi under ブログ

日本の教育の荒廃を嘆くニュースが年々多くなってきています。
民主党の今後の教育政策も気になるところです。

そんな中、偉人伝を中心に道徳教育を行っている現役教師二人
(三重県の中学教諭の渡邊毅氏と福岡県の高校教諭の占部賢志氏)の対談を
読みました。

本当の教育とは何か?また、本当の学びとは何か?

本当の教育とは文化の継承である
本当の学びとは生きる意味が分かること
と対談の中で占部氏は仰っておりました。

読み書き計算などの基礎学力は誰にも必須です。
しかし、いい高校に進学するための教育、いい大学に合格するための教育、
いい会社に入るための大学。
学んでいる当人は皆気付いています。
あまり意味がないと。

社会人になると気付きます。
大学で勉強することなんて、社会人で3ヶ月本気で勉強すれば身に付くことを。

年を重ねれば、必然的に教育をする側の立場になっていきます。
後に続く後輩たちに何を学んでもらうか。

益々人格を備えていかなければと思いました。

『致知』2009年12月号参考:致知2010年2月号

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2010年今年も「学ぶに如かず」

2010 年 1 月 4 日 Published by noguchi under ブログ

子日はく、「吾かつて終日食はず、終夜寝(い)ねず、以て思う、益なし。学ぶに如かず。」(論語)

自分は若い時、一日中食べることを忘れ、一晩中寝ることをやめて思索をめぐらしたが、何も得ることはなかった。やはり聖賢の教えを学ぶことのほうがはるかに益があると悟った。

聖賢の教えを学び続けるということは非常に重要だと思います。

去年一年でだいぶ古典を身近に感じるようになりました。
しかし、それらの教えが全て自分の血肉となっているかと言ったらまだまだ表面を学んだに過ぎません。
大半の教訓が文字のまま頭に入っているだけです。

学びて思わざれば即ち罔(くら)し」とあるように、ただ文字を頭に入れるだけではなく、血肉とするために、学んだことをよく考え、毎日の生活にその教訓を活かしていきたいと思います。

愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶ

体験から学ぶことは、強烈でそれこそ生きた学びになりますが、歴史から学べるものは、しっかりと学んでいく一年に改めてしたいと思います。

『致知』2009年12月号参考:致知2010年2月号

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