2009 年 8 月 31 日 |
No Comments | タグ: 人間学, 安岡正篤, 郷学
安岡正篤先生の「人間学のすすめ」という本を読み郷学のもつ意味を改めて考えさせられました。
日本精神の頽廃―民族の第一義は精神である
今日の日本、明日の日本というものを考えた時、なんとも言い知れぬ大きな危惧を抱かざるを得ないのであります。まかり間違ったならば、おそらくここ数年の日本は収拾すべからざる混乱に陥って、相当期間暗黒時代・恐怖時代が来ないとも限らない。(安岡正篤)
昭和40年に安岡先生は仰っております。
今日本は、安岡先生が発案した(との説)「平成」という元号ではありますが、昭和40年以降危うい状態を繰り返しここまできました。そして、未だ安定した国家の基盤を作り得ていない状態であります。
アメリカの占領政策によって骨抜きとなった日本の現状、教育の荒廃、道徳の頽廃を憂い、当時より今後の日本を非常に心配されていました。
そうした中、唯一日本が救われるにはどうしたらよいか。
物質では絶対に救われない、精神でなければ救われないと仰っております。
経済や産業も現実的には重要な問題ではあります。
しかし、永遠という性命からみると、それはとてもはかないものです。
先生は、何が民族であるか、という民族の第一義に立てば、いかにして精神、民族精神を養ったかが全てと主張しております。
郷学―心の根を培養する
人間、民族、人類というものは、栄えようと思ったならば、まず何よりも根に返らなければいけない。草木でも、本当に健やかに繁茂させようと思ったならば、悪戯に枝葉を伸ばしては駄目でありまして、幹を逞しくし、根を深く養わなければなりません。根に返ることが大事であります。(安岡正篤)
人が根に返ると言った場合それは何になるか。それは、郷土の歴史に返ることだと説いています。
郷土の歴史に返るということは、郷土の人々が心の根を培養することである。これが将来ここの人々、及びその子孫にどれだけ影響を与えるか、まことに計り知れないものがあるのであります。そういうことが全国的に行われる時に、日本民族はどんなに栄えるかわからない。(安岡正篤)
日本には、ヨーロッパで英雄扱いされたレベルの人物が各藩に数多くいたと思っています。新渡戸稲造先生の「武士道」によると、武士の妻でさえ、英雄と同様の精神レベルを有していたとも言えるかもしれません。(大袈裟かもしれませんがw)
郷学はやがて国学となり、人類の学となっていくと先生は主張しております。
日本の学は、人類の学となるポテンシャルを秘めていると思っています。
日本の精神は、人類の精神となり得る、誇りあるものを持っていると思っています。
自分は自分が生まれたこの日本という国を知りません。
19年間育ってきた信州諏訪・茅野のことを知りません。
それ以降の大半を過ごしている会津のことも知りません。
そんな人間がどうして自分のことを知っているでしょうか。
自分のことを知らないと言っているようなものです。
(実際、自分のことをまるで分かっていません)
縁を頂いた郷に学び、己の所以を知り、それを如何に育むか、今後意識して生活していきたいと思います。
追記 「為す」より「あれ」
人間にとって根本のことは、我々が何を為すかということではなくて、我々が何であるかということを発見することである。これは西洋も東洋も同じことであって、西洋でも立派な哲学者はつとにこれを解明しておる。名高い言葉に「how to do good(いかに善を為すか)」ということよりも、「how to be good(いかに善であるか)」ということの方が大事である、というのがありますが、人間の第一義は、何を為すかということではなくて、何であるかということである。(安岡正篤)
昔も今も、「何を為すか?」という夢や志が、人物としての指標のように捉えられがちですが、「為す」ことを語る前に「あれ」というのは古典を読んでも明らかな道理です。身の引き締まるご指摘に改めて敬服する次第でした。
このように日本に生きた偉大なる人物の教えを学ぶことも一つの郷学だと実感するところです。
偉人に学ぶ人間学 第3回 「安岡正篤」
2009年10月8日(木)には、偉人に学ぶ人間学と題して安岡正篤先生に学ぶ勉強会も主催いたします。興味のある方は、是非ぜひご連絡頂きたいと思います。
◆詳細情報はコチラ
2009 年 8 月 28 日 |
No Comments | タグ: 克己, 新渡戸稲造, 橋本左内, 武士道, 風の大地
感情を顔に出すべからず
武士道においては不平不満を並べ立てない不屈の勇気を訓練することが行われていた。そして他方では、礼の教訓があった。それは自己の悲しみ、苦しみを外面に表わして他人の愉快や平穏をかき乱すことがないように求めていた。(新渡戸稲造)
立派な人物を評するとき、「喜怒を色に表さず」という言葉が用いられたように、日本人の美徳として感情を表面に表わさない。というものがあります。漫画の話で恐縮ですが「風の大地」の主人公は、まさにこの克己の体現者でした。
自己の感情を出さないということは、他人の感情に影響を及ぼさないようにとの配慮だと稲造先生は仰っていますが、人の感情の揺れ動きを敏感に感じ取ってしまう日本人というのは、やはり、細やかな感性の持ち主なのだと思います。
なぜ「寡黙」がよしとされるのか
男子でも女子でも自己の魂が揺り動かされるのを感じるとき、まず最初、直感的にそのことが外に表れないように静かに抑えようと努める。(新渡戸稲造)
ある若いサムライはその日記に次のように書いています。
「汝の言葉の土壌が微妙なる思想をもって働くを感ずるか。それは種子の芽生えるときならん。言葉をもってこれを妨ぐるな。静かに、秘やかに、これをして独り働かしめよ」
何かの芽生えを言葉で邪魔をしてはいけない。と忠告しています。
確かに、感動を言葉で発するとき、自己の中に湧き上がるエネルギーを内に留め熟成させることなく、外に出してしまったという感覚はあります。
幕末の志士「橋本左内」は、私塾で学び、皆で討論しているときも物静かで、何を考えているか分からなかったと言います。しかし、いざ事を起こそうとしたとき、他の皆は討論でエネルギーを使い果し、実際に事を起こせたのは左内ただ一人だったという話も「啓発録」で読みました。
心を安らかに保つために
克己の訓練はときとして度を過ごしやすい。それは思いやりの心を完全に抑えることもできる。素直な性質を歪めたり、途方もないものに変えることもできる。偏屈を生んだり、偽善を育んだり、ときには情愛を鈍感にさせたりもできる。
しかし、克己の理想は、心の安らかさを保つことである。(新渡戸稲造)
感情を出さないことや、寡黙であることの訓練は、行き過ぎると危険だと稲造先生は仰っています。
他人の感情に影響を及ぼさないように配慮することは大切だと思いますが、感情を共感することも同時に大切なことだと思います。
人情を察することも一つの情け。思いやりの心がベースにあっての克己。己に勝っても、人をないがしろにしては意味がありません。
今日の宣言
自分に克つことだけに捉われず、広く思いやりの気持ちをもって、心安らかなる境地を目指す。
2009 年 8 月 27 日 |
No Comments | タグ: 品格, 教育, 新渡戸稲造, 武士道
行動するサムライが追求した「品性」
武士の教育にあたって第一に必要とされたのは、その品性を高めることであった。そして、明らかにそれと分かる思慮、知性、雄弁などは第二義的なものとされた。(新渡戸稲造)
知能が優秀であることはもちろん重んじられました。しかし、知性を意味するときに用いられる「知」という漢字は、第一に叡智を意味し、知識は従属的な位置を与えられたにすぎません。
武士道の枠組みを支えているかなえの三つの脚は「智、仁、勇」といわれ、それぞれ、知恵、慈悲、勇気を意味しています。
武士道は損得勘定をとらない
軍事教練において、当然あるべきものとされながら武士道の訓育に欠けているものに算術がある。武士道は損得勘定をとらない。むしろ足らざるを誇りにする。
ローマの武将が言うように「武人の徳とされている名誉、名声は、汚れをまとった利益よりも、むしろ損失を選ぶ」とさえいう。(新渡戸稲造)
武士は金銭そのものを忌み嫌いました。
金儲けや蓄財の術にたけることを嫌いました。
奢侈は人格に影響を及ぼす最大の脅威と考えられました。
よって、武士は自らもっとも厳格かつ質素な生活を己に課しました。
このことより、わが国の公務に携わる人々が長い間、堕落を免れていた事実を説明するに足る十分な理由である。と稲造先生は仰っております。
「文臣銭を愛し、武臣命を惜しむ」とは、時代が頽廃するときの常套句です。
教育者のあり方
教える者が、知性ではなく品性を、頭脳ではなくその心性を働きかける素材として用いるとき、教師の職務はある程度まで聖職的な色彩を帯びる。(新渡戸稲造)
「私を生んだのは父母である。私を人たらしめるのは教師である。」
この考えがいきわたるとともに、教師が受けた尊敬は極めて高かったと言います。
当時、精神的な価値に関わる仕事をする場合、その報酬は金銀で支払われるべきではないという考えでした。それは、価値がはかれないほど貴いものだったからです。よって、教育者は、武士階級の中でも特に「厳格さと誇りある貧乏」でありました。
このようにして、武士は、欲が生み出す堕落を免れ、鍛練に鍛練を重ねてきました。
品性を高めるということがどういうことか、垣間見ることが出来たように思います。
今日の宣言
品性を高めるよう、欲に左右されることのない自制心を養う。
2009 年 8 月 26 日 |
No Comments | タグ: 忠義, 新渡戸稲造, 武士道, 菅原道真, 頼山陽
日本における孝と忠
菅原道真公に関わる物語である菅原伝授手習鑑。
父(白太夫)の主君(菅原道真)に不忠であることが許されなかった松王丸は、年端もいかぬわが子を主君の幼子の身代わりとし、「われらがいとけし倅は立派にお役に立ったぞ。喜べ女房」と涙して叫んだ話はあまりにも有名です。
また、稲造先生は、武士道における孝と忠の関係を以下のように述べています。
福井と東京で教鞭をとったアメリカ人教師のグリフィスは正しくも、「中国では儒教の倫理は父母への従順を人間の第一の責務としたが、日本では忠義が優先された」と述べた。(新渡戸稲造)
頼山陽はその大著「日本外史」の中で、父清盛の法皇に対する反逆について、その子重盛の苦衷を「忠ならんと欲すれば孝ならず、考ならんと欲すれば忠ならず」と感動的に描き出した。このような板挟みの場合、武士道はためらうことなく、忠義を選んだ。(新渡戸稲造)
生命はときに主君に仕える手段とさえ考えられ、その至高の姿は名誉あるべきものとされました。
武士のすべての教育や訓練はこのことに基づいて行われました。
まさに封建道徳である忠義という徳目。
現代を生きる自分は何をもってこの武士道の忠義に代わるものを育むべきか。
当時、個人は国(藩)をになう構成部分として生まれてきました。
現代なら、国はまさに国家である日本だと考えます。
戦中の「お国のために」という言葉は、現代にも通用する武士道の忠義だと思います。
「お国のために」と公言するには、あまりにも自分は至らないことが多過ぎ、憚られます。
日本のために身命を賭す価値のある人間になれるよう、足元を良く見て、一歩ずつ成長していきたいと思います。
2009 年 8 月 25 日 |
No Comments | タグ: 名誉, 孟子, 恥, 新井白石, 新渡戸稲造, 武士道
不名誉はその人を大きく育てる
「人を人たらしめている部分、そしてそれを差し引くと残るのは獣性しかない」という考えは当然のことと思われた。その高潔さに対するいかなる侵害も恥とされた。そして「羞恥心」という感性を大切にすることは、武士の幼少時の教育においても、まず始め行われた。(新渡戸稲造)
「人様に笑われるぞ」「体面を汚すなよ」「恥ずかしくないのか」「恥を知れ」という言葉が子供に対して良く使われました。
恥は、すべての徳、立派な行い、および優れた道徳の土壌となるものでした。
孟子曰く「羞悪の心は義の端なり」とあります。
悪を恥じ憎む心が義の始まりだと言っています。
また、江戸時代の儒者、新井白石は「不名誉は樹の切り傷のごとく、時はこれを消さず、かえってそれを大ならしむるのみ」と言い、その人格を傷つけられることを拒絶しました。
名誉はこの世で「最高の善」である
・名誉は「境遇から生じるものではなく」、それぞれが自己の役割をまっとうに努めることにあるのだ、ということに気付いているのは、ごくわずかの高徳の人びとだけである。
・若者が追求しなければならない目標は、富や知識ではなく、名誉である。
(新渡戸稲造)
「錦を飾る」までは「故郷に帰れない」「帰ってくるな」というのは、数十年前の若者、また送り出す家族のスタンダードでした。
また、もし名誉や名声が得られるならば、生命自体は安いものだとさえ思われました。したがって生命より大切とする根拠が示されれば、生命はいつでも心静かに、かつその場で捨てられました。
名誉は、自己の役割をまっとうに努めることにあるのだ。という稲造先生の指摘はとても新鮮でした。
目標は高く持ちつつも、分をわきまえて自分のやれることをしっかりと努め上げる。
これが名誉の始まりであり、最高の善行だと心得、決して富や知識を目標にすることなく、今後も精進していきたいと思います。
2009 年 8 月 24 日 |
No Comments | タグ: 中庸, 孔子, 孟子, 新渡戸稲造, 武士道, 誠
孔子は「中庸」の中で誠をあがめ、超越的な力をそれに与えて、ほとんど神と同格であるとした。すなわち「誠なる者は物の終始なり。誠ならざれば物なし」と。
そして孔子が熱心に説くところによれば、誠は次の通りである。まず至誠は広々として深厚であり、しかも、はるかな未来にわたって限りがない性質をもっている。そして意識的に動かすことなく相手を変化させ、また意識的に働きかけることなく、みずから目的を達成する力を持っている。
と、稲造先生は解説しています。
中庸の書において、誠は「天の道」「天命」として基礎づけられました。孔子は論語の中で、「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と絶賛しています。
武士にとって、嘘をつくこと、あるいは誤魔化しは、等しく「臆病」「弱さ」とみなされました。武士にとって「臆病」「弱さ」は不名誉であり、「二言」つまり二枚舌のために「死」をもって罪を償った物語は数多く残されています。よって、「武士の一言」は、断言したことが真実であることを十分に保証するものでありました。それが武士の誇りであったことは想像に難くありません。
「言」が「成」と書いて誠ですが、有言実行はもとより、「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり」という孟子の言葉を噛みしめて生きていきたいと思います。
2009 年 8 月 21 日 |
No Comments | タグ: 新渡戸稲造, 武士道, 礼
礼儀作法の誤解
品性のよさをそこないたくない、という心配をもとに礼が実践されるとすれば、それは貧弱な徳行である。礼は物事の道理を当然のこととして尊重するということである。
型をなぞり、品性を保つことが礼の本質ではないとはじめに注意されています。
礼とは他人に対する思いやりを表現すること
礼とは「禮」であり、昔は、示偏に豊と書きました。示偏は、祭壇に供え物の肉を捧げ、肉が新鮮で、血が滴り落ちることを表現しています。禮とは、祭壇へのお供え物が豊かという意味で、神への感謝の気持ちを表現した漢字です。
漢字を見ても、他者への気持ちを表わすことが禮(礼)ということだとわかります。
礼は慈愛と謙遜という動機から生じ、他人の感情に対する優しい気持ちによってものごとを行うので、いつも優美な感受性として現れる。礼の必要条件とは、泣いている人とともに泣き、喜びにある人とともに喜ぶことである。礼はその最高の姿として、ほとんど愛に近づく。
では、作法や型でいうところの礼儀作法にはどんな意味があるのか…
礼法の最も有名な流派の祖述家である小笠原清務氏は言いました。
あらゆる礼法の目的は精神を陶冶(とうや)することである。心静かに座っているときは、凶悪な暴漢とても手出しをするのを控える、というが、そこまで心を練磨することである
正しい作法に基づいた日々の絶えざる鍛練によって、身体のあらゆる部分と機能に申し分のない秩序を授け、かつ身体を環境に調和させて精神の統御が身体中にいきわたるようにすることを意味する。
と、稲造先生は言い換えています。
前章で、優しさを育むために、音楽や詩歌があったように、茶の道、武の道、道とつくものには、色々作法がありますが、作法から入り、精神を高め、本当の礼そして仁にたどり着くこともまた可能だということだと学びました。
相手を思いやる気持ちを表現したものが礼の本質であり、表面的な礼儀作法に捉われることではないと肝に銘じ、一歩一歩、道を歩んでいきたいと思います。
2009 年 8 月 20 日 |
No Comments | タグ: 仁, 新渡戸稲造, 武士道, 詩歌, 音楽
民を治める者の必要条件は「仁」にあり
「仁」(じん)は人(じん)であり、「仁」という漢字は、人偏に漢数字の二と書きます。人が二人相親しむ意味であり、それは愛や思いやり、寛容、他者への同情、哀れみです。これらは至高の徳、即ち人間の魂がもつあらゆる性質の中の最高のものと認められてきました。
大学に「未だ上仁を好みて下義を好まざる者あらざるなり」とあります。
国王が思いやり慈しむ政治を好んでいるのに、国民が正義の行いをしないということはない。
孟子曰く「不仁にして国を得るものはこれ有り、不仁にして天下を得るものはいまだこれ有らざるなり。」
「仁」をもたずして他国との戦いに勝つ人はいるが、「仁」をもたずして天下を統一した人は、いまだにない。
男性的な義・女性的な仁
「義」高潔な義、厳格な正義というものが男性的であるとするならば、「仁」は優しく母のような徳です。慈愛は女性的な性質である優しい諭す力を備えています。
「武士の情け」に内在する仁―武士の音楽や詩歌
武士が音楽をたしなむ風習や詩歌をたしなむよう奨励があったのには理由があります。武士は元々戦うことが仕事であり、荒々しい気性が備わっています。しかし、「武士の情け」に代表されるように、熾烈な戦の中ですら他者を思いやる気持ちを持ち合わせているのが武士です。そして、それが我々の中の「高潔」なものに訴える響きを持っています。
情けの気持ちを育むために、音楽が風習となり、詩歌が奨励されました。
音楽―血気にはやる心をなだめ、血生臭い修羅場から思い遠ざけるものである。
詩歌―より優しい感情を表面に表わし、その反対に内面にそれを蓄えるためである。
戦いの恐怖の真只中で他者への哀れみの心に貢献したのが、音楽や詩歌に対するたしなみでした。
優しい感情を育てることが、他者の苦しみに対する思いやりの気持ちを育てる。他者の感情を尊重することから生まれる謙虚さ、慇懃さが「礼」の根源である。
と稲造先生は仁の章を締めくくっています。
「仁」思いやりというのは、ここぞ!と発揮するような大袈裟なものではなく、相手への小さな意識の連続なのかなと思います。「仁」の気持ちを育むための「音楽」「詩歌」という視点は新しい発見でした。優雅さを求めての「音楽」「詩歌」とは根本的に意味が違います。
母性の感情をいかに育むかは、自分の課題でもあります。
日々、われがわれがと「我」に走らぬよう、相手を意識し、尊重するような生活を送りたいと思います。
2009 年 8 月 19 日 |
No Comments | タグ: 勇, 孔子, 孟子, 新渡戸稲造, 武士道, 義
義…信頼の徳
義とは、信頼の徳です。
人間関係を保つための信義の徳。
人間関係を保つための真っ直ぐな狭い道です。
孟子曰く「仁は人の安宅なり、義は人の正路なり」
「仁」は住み心地のよい家のように安らかな身の置き所であり、「義」は人の踏み行うべき正しい道である。
また、孟子曰く、「仁は人の心なり、義は人の路なり。その路を舎てて由らず。その心を放ちて求むることを知らず。哀しいかな。人、鶏犬の放つことあれば、即ちこれを求むるを知るも、心を放つことあるも求むるを知らず。」
「仁」とは人の心であり、「義」とは人の道である。その道を捨てて歩むことをせず、その心を失って顧みようとも思わない。悲しいことだ。人は、鶏や犬がいなくなれば、すぐ探し求めるのに、道を捨て、心を失っても取り戻そうとしない。
勇…義によっておこる勇気
勇は正しいことをする勇ましい心であります。
孔子曰く「義を見てせざるは勇なきなり」
勇気とは正しいことをすることである。
また、孔子曰く「勇ありて義なきは乱を為す」
「勇」があっても、そこに「義」がなければ世を乱すもととなる。
このように、「勇」は「義」によって発動されるのでなければ、徳行の中に数えられる価値がないとされました。
道徳的勇気と肉体的勇気
死に値しないことのために死んだり、ただ闇雲に危険を冒すことなどは「勇」と呼ばず、それらは「犬死」とか「蛮勇」として蔑まされる対象となりました。
武士道の中では、大事に当たって奮い起こす勇気である「大義の勇」と、思慮分別なくただ血気にはやる浅はかな勇気である「匹夫の勇」は明確に区別されました。
静的勇気と動的勇気
「果敢な行為」が勇気の動的表現であるならば、「平静さ」とは、勇気の静的表現であります。
真に勇敢な人は常に落ち着いていて、決して驚き慌てず、何ものによっても心の落ち着きが乱されることがあってはなりません。そのような人物を真に偉大な人物として賞賛するのが武士でした。
最後に、新渡戸稲造先生は、勇気と名誉はともに価値ある人物のみを平時に友とし、戦時においてはそのような人物のみを敵とすべきことを要求しているのである。と説明し、勇気が高みに達するとき、それは「仁」に近づくと締めくくっています。
義と勇は表裏一体であり、切って離しては存在する価値がないものだと学ぶことができました。義と勇の関係は、文と武の関係であり、文武両道の本当の意味がここにあるのだということを改めて感じました。
胆力を養う努力を続け、正しい道を踏み生きていけるよう、常に気を張って生きていきたいと思います。
2009 年 8 月 18 日 |
No Comments | タグ: 仏教, 儒教, 新渡戸稲造, 武士道, 神道
新渡戸稲造の「武士道」を読んで学んだことをまとめていきます。
武士道の基本概念(ルーツ)
仏教・・・死生観
仏教は武士道に、運命に対する安らかな信頼の感覚、不可避なものへの静かな服従、危険や災難を目前にしたときの禁欲的な平静さ、生への侮蔑、死への親近感をもたらしました。
一流の剣術師匠(柳生宗矩)は、一人の弟子が自分の技の極意を習い覚えてしまったのを見るや「私の指南はこれまで。あとは禅の教えに譲らねばならぬ」と言われたとあります。
神道・・・愛国心・忠誠心
主君に対する忠誠、先祖への崇敬、さらに孝心などが神道の教義によって教えられた。そのため、侍の傲岸な性格に忍耐心がつけ加えられました。
神道の自然崇拝は、国土を私たちにとって心の奥底からいとおしく思われる存在にしました。また神道の祖先崇拝は、次から次へと系譜をたどることによって、ついには天皇家を民族全体の源としました。
儒教・・・道徳心
武士道における道徳的な教義は、孔子、孟子の教えが源泉となっています。当時、孔子や孟子のテキストが盛んに学ばれました。さらに、武士道では知識のための知識を軽視しました。
「論語読みの論語知らず」ということわざは、孔子の言葉だけを振り回している人をあざけっています。武士道では自然と知行合一が評価されました。王陽明の教えを受け入れるために、日本人の心は特にひらかれていたように思う。と新渡戸稲造は解説しています。
武士道がどのような思想の束から紡ぎ出されてきたのか、知ることが出来ました。
武士道には、明確な起源があるわけではなく、また、ある人物がその生涯を賭けてつくり出したものでもありません。封建制の成立から自然と湧き上がり、何百年にもわたった武士の生き方の結晶でありました。
まさに人々の心に刻み込まれた掟だったことを学びました。
武士道をはぐくみ、育てた社会的条件は消え失せて久しくとも、そのルーツや思想を学ぶことにより、日本人の「倫理体系のかなめの石」となっている武士道を深めていきたいと思いました。