Archive for 6月, 2009

佐藤一斎に学ぶ 楽と礼(外と内の調和)

2009 年 6 月 30 日 Published by noguchi under ブログ

72、楽と礼

佐藤一斎人をして歓欣鼓舞して外に暢発せしむる者は楽なり。
人をして整粛収斂して内に固守せしむる者は礼なり。
人をして歓欣鼓舞の意を整粛収斂の中に寓せしむる者は、礼学合一の妙なり。

人を喜ばせ、おどらせ、元気を外にのびのびさせるものは音楽である。
身を整え、心を粛(つつし)ましめ、内に引き締めさせるものは礼である。
これら相反する二面を調和させ、人をして喜びの中に心の引き締まるものあらしめるのは、
礼学合一の妙である。

外に元気を出してばかりで、内に身を引き締めることを知らなければ、
どこかで羽目を外してしまいます。
内にのみ身を引き締め、外に元気を出すことを知らなければ、
自分も他人も息が詰まります。

ここ数年、外に外にと出してばかりだったので、
内に内に、身を整え、心を正し、慎ましい生活を意識したいと思います。
そうした後に、この二つを調和させられるよう、一歩前進できたらと思いました。

言志四録 1 (講談社学術文庫 274) 言志四録 1 (講談社学術文庫 274)
佐藤 一斎

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佐藤一斎に学ぶ 諫言二則(忠告するとき、されるときのあり方)

2009 年 6 月 29 日 Published by noguchi under ブログ

70、諫言二則 その一

佐藤一斎凡そ人を諫めんと欲するには、唯だ一団の誠意、言に溢るる有るのみ。
苟くも一忿疾(ふんしつ)の心を挟まば、諫めは決して入らじ。

人に忠告しようとするには、熱誠が言葉に溢れて来るようでなければだめだ。
かりそめにも、腹を立てたり、憎むような心が少しでもあれば、忠告は相手の心に入るものではない。

71、諫言二則 その二

佐藤一斎諫(いさめ)を聞く者は、固(も)と須(すべか)らく虚懐なるべし。
諫を進むる者も亦須らく虚懐なるべし。

忠告を聞く者は、わだかまりのない心で聞かなければいけない。
また、忠告をする人も、誠心誠意をつくし、少しもわだかまりの心があってはいけない。

諫言というのは、話すときも、聞くときも、虚心坦懐、わだかまりのない、
素直な状態でなければいけないというように一斎先生は説いています。

ついつい、嫌味っぽく言ってしまったり、誠意にかけ、
腹を立てた勢いで物事を言ってしまったり、そんなことが間々あります。

話を聞く際にも、そんなことは言われなくてもわかっています。
と言わんばかりの心の態度のことがあったりします。

それでは、駄目だとわかっていても、つい態度として出てしまうのは、
まだまだ未熟なんだと気付かされます。

敵意を抱かず、わだかまりも持たず、
素直な気持ちで生活しなければと改めて思いました。

言志四録 1 (講談社学術文庫 274) 言志四録 1 (講談社学術文庫 274)
佐藤 一斎

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佐藤一斎に学ぶ 実学二則(本を読むことだけが学びではない)

2009 年 6 月 26 日 Published by noguchi under ブログ

58、実学二則 その二

佐藤一斎山岳に登り、川海を渉り、数十百里を走り、時有ってか露宿して寝ねず、
時有ってか餓うれども食(くら)わず、寒けれども衣(き)ず、
此は是れ多少実際の学問なり。
夫(か)の徒爾(とじ)として、明窓浄几、香を焚き書を読むが若き、
恐らくは力を得るの処少なからむ。

山に登り、あるいは川を渉り、海に船出し、時には七、八十里の遠き旅をし、
時には野宿してよく眠れないこともあり、食物がなくなってひもじい思いをしたり、
時には寒さに遭っても衣類の用意がなかったりすることがある。
しかし、これらのことは、実際の学問で、
(心身の鍛練になり、また人情の機微に触れたり)大いに役立つものである。

これに比べると、何事もしないで、明るい窓辺で、綺麗な机に向って、香をたき、
書を読むようなことは、実際の力をつけることは少ないであろう。

知識を入れるだけでは何の学びにもならない。
実際の学問とは呼べない。という教えを一斎先生も説いています。

時には、生の体験から得られることが、机上の勉強から得られることより、
力になったりすることがあります。

また、「本当に学問するとはどういうことか」という
気付きが体験を通して得られることがあります。

心を素直に保っていれば、学びはいたるところに存在します。

実学で得ることが出来る、一番大切な学びは、
訳者が補足している、「人情の機微」ではないかと思います。
これは、論語で学べるかといったら、そうではありません。

生の人と人との真剣な付き合いを通じて、
少しずつ理解できるものだと思います。

この「人情の機微」を捉える能力はとても大切だと思います。
松下幸之助翁は、この「人情の機微」というものをよく捉えていたと聞きます。

しかし、自分には、その能力が不足していると感じることが多々あります。

多くの実学、出会いを大切にして、
「人情の機微」というものを肌で感じ、繊細に、敏感に反応していきたいと思いました。

言志四録 1 (講談社学術文庫 274) 言志四録 1 (講談社学術文庫 274)
佐藤 一斎

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佐藤一斎に学ぶ 酒三則(酒には注意しろ)

2009 年 6 月 25 日 Published by noguchi under ブログ

54、酒三則 その一

佐藤一斎酒は穀気の精なり。微(すこ)しく飲めば以て生を養う可し。
過飲して狂酗(きょうく)に至るは、是れ薬に因って病を発するなり。
人参、附子(ぶす)、巴豆(はず)、大黄(だいおう)の類の如きも、
多く之を服すれば、必ず瞑眩(めんけん)を致す。
酒を飲んで発狂するも亦猶お此(か)くのごとし。

酒は穀物の気の精である。これを少し飲めば養生によい。
飲み過ぎると、気違い沙汰を呈するようになるのは、薬によって発病するようなものだ。
人参、附子、巴豆、大黄の類も、多く服用すると、必ずめまいを生ずる。
酒を飲んで発狂するのもこのたぐいである。

55、酒三則 その二

佐藤一斎酒の用には二つあり。
鬼神は気有りて形無し。故に気の精なるものを以て之を聚(あつ)む。
老人は気衰う。故に亦気の精なる者を以て之を養う。
少壮気盛なる人の若(ごと)きは、秖(まさ)に以て病を致すに足るのみ。

酒の用い方には二つある。
一つは神は気があって形体のないものであるから、酒を供えてお招きする。
二つは老人は元気が衰えるから、酒によって元気を養うがよい。
元気盛んな若者は、酒を飲むと病気を引き起こすだけだから飲まないがよい。

56、酒三則 その三

佐藤一斎勤の反を惰と為し、倹の反を奢(しゃ)と為す。
余思うに、酒能く人をして惰を生ぜしめ、又人をして奢を長ぜしむ。
勤倹以て家を興す可(べ)ければ、則(すなわ)ち惰奢以て家を亡すに足る。
蓋(けだ)し酒之れが媒(なかだち)を為すなり。

勤勉の反対が怠惰であり、倹約の反対が奢侈(贅沢)である。
私は思うに、酒は、人を怠惰にし、またおごりの心を長ぜしめるものであると。
勤勉、節約が家運を興こさせることができ、怠惰、贅沢は家を亡ぼすもとである。
後者の場合、酒がこの仲介をするものである。

佐藤一斎先生も、お酒には十分注意するように説いています。
これは、二宮尊徳先生も、よくよく言っていたことでした。
身を興した先人らは、これらをよく守っていました。

何事もなく(!?)、お酒を楽しんでいるときには、全く縁のなかった教えですが、
今では、身に沁みる言葉です。
お酒ではしゃいでいるときには、この言葉に出会うことはありませんでした。
或は、出会っていてもスルーしていたのか…

どちらにせよ、精気盛んな若者にはお酒は不要だということが、今ではよくわかります。
ただ、若者であろうが、老人であろうが、精気を養う必要がある人には薬となります。

分別をわきまえている人に、このような忠告は不要であると思いますが、
自分のように、度が過ぎることがよくある人間は、重々注意をしたほうがよいぞ。
と、先人達は教えてくれています。

勤倹が身を家を興し、奢侈が身を家を破滅させるものだと改めて注意したいと思いました。

言志四録 1 (講談社学術文庫 274) 言志四録 1 (講談社学術文庫 274)
佐藤 一斎

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佐藤一斎に学ぶ 全ては借り物(政治の要諦)

2009 年 6 月 24 日 Published by noguchi under ブログ

46、政治の要諦

佐藤一斎土地人民は天物なり。
承(う)けて之を養い、物をして各々其の所を得しむ。
是れ君の職なり。
人君或は誤りて、土地人民は皆我が物なりと謂(おも)うて之を暴(あら)す。
此(これ)を之れ君、天物を偸(ぬす)むと謂う。

土地も人民も天の賜物。
これを受けて、これを養い、
一人ひとりにその適当な地位や仕事を得せしめるのが、人君の仕事である。
ところが、人君が謝って、土地、人民は皆、自分のものだと考えて、
乱暴に扱うならば、この行為は、人君が天物を盗むものというべきだ。

このように説いています。

これは、一斎先生が当時の大名小名に対して戒めたものだと注釈がありました。
当時の大名らは自分の土地や家臣を私物化しすぎている傾向があったようです。

これは、当時の諸大名だけに言えることではなく、
現代にも置き換える事ができます。

自分一人とっても天物。他人など推して知るべしだとわきまて、
私物化しようとしている自分がいないか、よくよく注意していきたいと思いました。

人や物や機会は全て天からの賜りもの。
些細なことでも意識して、大切にしていかなければなりません。
意識や気が巡りきっていない自分を改めないといけないと思いました。

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佐藤 一斎

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佐藤一斎に学ぶ 自分に厳しく、人に優しく

2009 年 6 月 23 日 Published by noguchi under ブログ

30、自に厳、他に寛

佐藤一斎自ら責むること厳なる者は、人を責むることも亦厳なり。
人を恕すること寛なる者は、自ら恕することも亦寛なり。
皆一偏たるを免れず。
君子は則ち躬(み)自ら厚つうして、薄く人を責める。

自分に厳しい人は、人にも厳しく。
他人に寛容な人は、自分にも寛容である。
皆、どちらかに偏っていることを免れない。
君子は、自分に厳しく、他人に寛容である。

このように一斎先生は説いています。

まったく、この通りに自分は偏ってしまっています。
自分に厳しいときは、人にもつい厳しくなりがちです。
他人に寛容なときは、自分にも寛容(甘え)になります。
こうではいけないとわかっていても、出来ていない現実。
自分にガッカリさせられます。

論語にも「子曰く、躬自ら厚うして、薄く人を責むれば、則ち怨みに遠ざかるなり」ともあります。

「自に厳、他に寛」というようにありたいと思います。

言志四録 1 (講談社学術文庫 274) 言志四録 1 (講談社学術文庫 274)
佐藤 一斎

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道州制とか、論語とか、ロケットとか色々

2009 年 6 月 22 日 Published by noguchi under ブログ

江口克彦氏 道州制植松努

先週、木曜は、会津でもお世話になっているDANNAprojectが主催する「学生で語る新しい日本の形 ~地域主権型道州制~」という勉強会へ出席しました。PHP総合研究所の代表、江口克彦さん直々に道州制の説明を受けました。

また、土曜は、会津藩校日新館で行われている高木先生による「論語」の勉強会、日曜は、喜多方にて、福本さん率いる喜多方の読書普及協会が主催する、「植松努さん」の講演会へ出席しました。

インプットする機会が多くなってしまいましたが、とても刺激的でした。

どの企画も、「今のままではまずい!」という危機感が現れており、これから先何をどうしたらいいのだ。という観点から、それぞれの勉強会や講演会が催されていました。

そこかしこから、危機感の種が育ち、そして、新しい行動へと芽が出て行くのだなと思うと、自分も負けていられないという気持ちになりました。

主催している講習会もそうですが、目の前の仕事をより一層大切に、一歩一歩着実に進んでいきたいと思います。

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佐藤一斎に学ぶ 面と背と胸と腹を鍛えること

2009 年 6 月 18 日 Published by noguchi under ブログ

19、面と背と胸と腹

佐藤一斎面は冷ならんことを欲し、背は暖ならんことを欲し、
胸は虚ならんことを欲し、腹は実ならんことを欲す。

頭が冷静ならば、正しい判断ができる。
背中が暖かいならば、熱烈、人を動かすことができる。
虚心坦懐にして、我見がなければ、他人を容れることができる。
腹が充実していれいば、胆力が据わってものに動じない。

私もこのようにありたいと思います。

熟慮することを欠きやすい性格でありますので、
何か事を行う際には、よくよく考えなければなりません。

人は誰に付いていくかと言ったら、やはり先頭に立っている人にです。
後ろにいる人には、付いていこうと思っても、付いていけないものです。
人の前に立つということは、背中しか見えないということです。
少ないながらも、今、自分が背負っているものを大切にする。
そういう人間でいたいと思います。

背中を見て人が付いてくるとするならば、人が飛び込むのは胸です。
心にわだかまりがなく、おおらかでさっぱりとしている。
自分だけの狭く偏った見方をせず、他人を受け容れることができる。
そんな器を持ちたいと思います。

最後には、事を為すこと、生きることへの覚悟として、
腹を据え、胆力を練りに練る必要があります。
もっとも足りていないものだと自覚しています。

知識や経験を腹に落とし胆識とし、生き方を腹に決め、
動じることのない人間に成長したいと改めて感じました。

言志四録 1 (講談社学術文庫 274) 言志四録 1 (講談社学術文庫 274)
佐藤 一斎

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佐藤一斎に学ぶ 自分は既に天のもの

2009 年 6 月 17 日 Published by noguchi under ブログ

10、自ら省察すべし

佐藤一斎人は須(すべか)らく自ら省察すべし。
「天何の故にか我が身を生出し、我をして果して何の用にか供せしむる。我れ既に天の物なれば、必ず天の役あり。天の役共せずんば、天の咎必ず至らむ。」
省察して此(ここ)に至れば則ち我が身の荀(いやし)くも生く可(べ)からざるを知らむ。

「天はなぜ自分をこの世に生み出したのか。
何の用をさせようとするのか。
自分は天(神)の物であるから、必ず天命がある。
この天命(使命)を果さなければ、天罰をうける」

ここまで反省、考察してくると、自分はただうかうかとこの世に生きているだけではすまされないことがわかる。

と、一斎先生は述べています。

君子、一日生きれば一日世に利あり(加藤咄堂)
一日世に在れば、一日為すあり(吉田松陰)

漫然と日々過ごすことの恐ろしさを改めて感じます。

自分は自分のものではない。

どうしても、自分を自分のものと思ってしまっている自分がいますが、
自分を自分のものと思っているかぎり、「自分が。自分が。」という「」が出て、
自然と「我がまま」になってしまいます。
※「自分」という単語が連続して読みづらいですね…(苦笑)

自分は天のものであり、
「世のため、人のために尽くす」ゆえに生かされていることを知り、
日々、ダラダラと過ごすことのないよう、精進していきたいと思いました。

言志四録 1 (講談社学術文庫 274) 言志四録 1 (講談社学術文庫 274)
佐藤 一斎

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佐藤一斎に学ぶ 事を為すには立志、実行、継続

2009 年 6 月 16 日 Published by noguchi under ブログ

6、学は立志より要なるはなし

佐藤一斎学は立志より要なるはなし。
而して立志も亦之れを強うるに非らず。
只だ本心の好む所に従うのみ。

学問をするには、志を立てて、心を振るい立てることより肝要なことはありません。
しかし、心を振るい立たせることも外から強制できるものではありません。
前項で述べられたように、「墳」の一字をもって、自ら振るい立てる他ありません。

「○○に出来て、自分にやれないはずはない」
「自分がやれねば、誰がやる」
「ここでやらねば、もう後はない」

(人物を学ぶということの意義の一つは、「墳の心」を振るい立たせることができる点だなと思いました。)

訳者は、さらに続けて、

物事を成就するには、立志だけでは駄目である。
まず志を立てる。次は実行に踏み出す。
これだけではまだ駄目で、これを成功するまで継続しなければいけない。
とにかく、立志は人をして活き活きとさせることは確かである。

と締めています。

発憤立志実行継続

学問は、知識を得ることが目的ではないとよく言われます。
知識は、実行されなければ、ないのも同然だとよく戒められます。

学び=実行」と心得、志をもって「目標と方向性」をしっかり定め、その目標を達成できるよう、実行、継続していきたいと思いました。

言志四録 1 (講談社学術文庫 274) 言志四録 1 (講談社学術文庫 274)
佐藤 一斎

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