Archive for 4月, 2009

二宮尊徳の教え 其の五 農業こそが大本

2009 年 4 月 30 日 Published by noguchi under ブログ

すべて物の根源になるものは、必ず低く見られる。しかし、低く見られるからといって、それを軽視するのは間違いである。たとえば、家屋には、土台があってはじめて、床や書院があるようなものだ。土台は家の根源である。
さて、さまざまな職業中、それらの根源は農業である。なぜなら、農業は、自分で作って食べ、自分で着物を織って着るという道を勤めるからであり、この道は、すべての人がこれを行っても、差し支えのない仕事だからである。
このように大本となる仕事が低く見られるのは、それが根源にあるからである。物を置くときに、最初に置く物が必ず下になり、後に置いた物が必ず上になるのが道理であって、農民が国の大本であるために、低く見られるのである。

(参考:現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉

当時、この言葉を聞いた農民の方々は大いに奮い立ったのじゃないかと想像できます。「大本」となるものが必ず低く見られる。これはよく考えると確かにそうなのですが、改めて言われるまで気が付きませんでした。

すべての人がそれをやってさしつかえない仕事こそが、職業の大本である。役人が貴い地位にあるといっても、すべての人が役人になったら、どうなるのか。必ずやっていけなくなるだろう。兵士は重要な仕事だが、すべての人が兵士になったら、同じくやっていけない。工業も欠かせない職業だが、すべての人が工業に就いたら、必ずやっていけない。商業もまた同じだ。しかし、農業は職業の大本だから、すべての人が農業をやっても、差し支えなくやっていける。農業がすべての仕事の大本であるということは、これによって明瞭である。

水は全てのものより低いところへ流れ、全てのものを潤します。この摂理を忘れずに、低く見られるものこそ、大本なのであり、大切にしなければならないこと、本質が隠されていることと肝に銘じたいと思います。

現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉 現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉
渡辺 毅

No responses yet

二宮尊徳の教え 其の四 はじまりの大道

2009 年 4 月 29 日 Published by noguchi under ブログ

神道は、まず日本がはじまって以来の「はじまり」の大道であり、皇国の根源の道である。豊葦原(とよあしはら:日本の美称)をこのように、みずみずしい稲穂の実る国、安らかな国として治められた大道である。この「はじまり」の道が、真の神道である。
神道が盛んに行われてから後、儒教や仏教も取り入れられてきた。神道という「はじまり」の道がまだ盛んに行われていない前に、儒教・仏教が入ってくる道理はあるはずがない。神道つまり「はじまり」の大道がまず行われて、十分に間に合うようになってから、さらに世の中に難しいことも生じて、そのときはじめて儒教や仏教も必要になってくるのだ。これはまことに疑いのない道理である。

(参考:現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉

尊徳先生はこのようにおっしゃっております。
日本は、神道、仏教、儒教の順に教えが栄えました。その際、ベースにあったのは神道であり、神道があってはじめて、仏教、儒教が成り立ったのだという風に説明しております。

例えば、嫁がないときに夫婦喧嘩はない。まだ子供が幼いのに、親子喧嘩もあるはずがない。嫁があってはじめて、夫婦喧嘩があり、子供が成長してはじめて、親子喧嘩があるのである。このときになって、儒教や仏教の教えも必要となるのだ。

秀逸な例えです。尊徳先生は、儒教なら儒教のみ、仏教なら仏教のみというように、それぞれの教えに偏らず、必要な教えを素直に受け入れ、それを世の中の役に立つよう自分のフィルターを通して取捨選択し、事に当たりました。私自信がまさにそうありたいと思う姿です。

現在私は、儒教を中心に学んでいますが、少しずつ根幹に近づくため、続いて仏教、最後に神道という順で学んでいきたいと思っております。このようにして、今日の国家があることの因を知り、恩に報いるよう、ただ学ぶだけでなく、学んだことを実生活に活かし、少しでも世の中に役に立つよう励みたいと思っております。

日本の根幹に触れるよう、平行して「やまとことば」の勉強会もしております。
興味のある方は是非合宿に参加してみてください。

現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉 現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉
渡辺 毅

No responses yet

二宮尊徳の教え 其の三 水の教え・氷の教え

2009 年 4 月 28 日 Published by noguchi under ブログ

大道というのは、例えると水のようなものだ。よく世の中を潤して、停滞しないものである。しかし、このように尊い大道も、文字にして書物にしただけでは、世の中を潤すことなく、役立つことはない。これは例えれば水が凍っているようなもので、もとは水に違いないけれども、そのままの状態では潤すことができず、水の役目を果すことはできない。

(参考:現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉

「上善水の如し」と言ったのは老子、「人の性の善なるは、猶ほ水の下きに就くがごときなり」と言ったのは孟子。やはり、大善・大道というのは、水に例えられることが多いようです。その中で、書物・知識を氷とする心は、身が引き締まるような例えでした。

この氷となった経書(四書五経)を、世の中の役に立てるには、胸中の温気によって、その内容をよく溶かして、もとの水として用いなければ、世の中を潤せず、実に無益なものになってしまうだろう。氷を溶かす温気が胸中にないのに、氷のまま使って水の役目を果すものだと思っているのは、たいへん愚かなことだ。よく考えられよ。

尊徳は、このように門徒達を戒めています。学んだ知識を熱い思いによって、溶かすことをせず、そのまま口にしたり、文字にしてもそれは愚かなことだと注意しています。まさに自分がそうなってしまわないように気を付けなければならないことだと痛感しました。

最後に尊徳は、「だから、私の教えは、実行を尊ぶ。」と言っております。仏教の経文といい、儒教の経書といい、その「経」というのは、機織をするときの“縦糸”のことである。機織は縦糸だけでは織ることができない。実行という“横糸”を毎日織り込んでいって、はじめて役に立つのである。実行という横糸を織らずに、ただ縦糸だけでは無益なことは、説くまでもない明らかなことだろう。と、このように締め括くっています。

経書・経文にある教えは、実行(=溶かす)してはじめて水としての潤いを与えるのだということを忘れないようにしたいと思います。言っていることは立派だけど、やっていることが伴わない状態にだけは、決してならないようにと思いました。

現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉 現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉
渡辺 毅

No responses yet

二宮尊徳の教え 其の二 柿を選ぶのにも

2009 年 4 月 24 日 Published by noguchi under ブログ

世の中を見てみなさい。一銭の柿を買うのにも二銭の梨を買うのにも、芯がまっすぐでキズのないものを選んで取るだろう。また、茶碗ひとつ買うにも、色のいいもの形のよいものを選び撫でてみて、音を鳴らして聞き、選りに選んで取るものだ。世の中の人は、みなそうだ。柿や梨でさえ、ここまでして選ぶのだ。ならば、人に選ばれて、婿や嫁となる者、あるいは仕官して立身を願う者は、自分の身にキズがあっては、人が取ってくれないのは当然のことだ。自分がキズをたくさん持っているのに、上に立つ人に用いられなかったとき「自分を見る目がない」などと上の人を悪くいって非難するのは、大きな間違いである。自らを省みよ。必ず自分の身にキズがあるからに違いない。

(参考:現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉

このように説いています。非常に分かりやすい説明です。
どんなに安い買い物をするときにでも、下手なものは選ばないように用心するのが人の性。ましてや、人を選ぶ際は尚更だと心得なければなりません。どんな場合でも、原因は必ず自分にあるものです。

人の「身のキズ」とは、例えば、酒が好きだとか、酒の上での不埒だとか、放蕩だとか、勝負事が好きだとか、惰弱だとか、無芸だとかが挙げられるだろう。何か一つか二つのキズがあるならば、買い手がないのも当然だ。
古語(大学:伝6章)に「心の中の真相は、必ず外にあらわれる」とあるが、キズがなくまっすぐな柿が売れないはずがない。逆に、たとえ草深い中でも、山芋があれば、人がすぐに見つけて捨ててはおかない。また、泥深い水中にいるウナギやドジョウも、必ず人が見つけて捕えるのが世の中だ。そうであれば、内に真心があれば、それが外にあらわれない道理があるはずがない。この道理をよく心得て、自分の身にキズがつかないように心がけなければならない。

身のキズという点において、とても耳の痛い話でありますが、なるほどそうだ。と、しっくりきます。自分で自分を正しく品定めする力(客観的な視点)を養い、キズも個性の内などと自分を甘やかすことなく、心身を整える必要があると思いました。
人というものは、良いものであればどんなものでも貪欲に探し当てます。キズ一つ無い我が身であれば、世にあらわれない道理がないというのは、励み甲斐のあることではないかと思います。

現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉 現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉
渡辺 毅
大学・中庸 (岩波文庫) 大学・中庸 (岩波文庫)
金谷 治

No responses yet

二宮尊徳の教え 其の一 天理と人道は別もの

2009 年 4 月 23 日 Published by noguchi under ブログ

天の理とは、たとえば春は生じ、秋は枯れ、火は乾いたところにつき、水は低いところに流れる、というように毎日常に変わらないことだが、それに対して、人の道とは、毎日人の力を尽し、保護して出来上がる。従って、人の道は、天道の自然に任せておけば、たちまち廃れてしまって行われなくなってしまう。だから人道というのは、情欲に心が支配されるときは成り立たないものである。

(参考:現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉

二宮尊徳(金次郎)は、弟子に上記のように語っています。

分かりやすく例えると(尊徳はたとえ話がとても上手)、広々とした海の上には道などないように見えるが、航路を定めてこれによらなければ、岩にぶつかってしまうだろう。陸上の道路も同じように、勝手気ままに行けば、物や人と衝突する。言語も同じように、思ったことをそのまましゃべれば、たちまち争いが生ずるのである。

人は人の道というものを、しっかりと意識し、見定めなければならないことを説いています。

人道というのは、欲望を抑えて感情をコントロールすることを勧めるときはじめて成立するものだということは、よくよくわかっておいたほうがいい。うまいものを食べたいとか、美しい服を着たいと思うのは自然な感情である。しかし、これにブレーキをかけ、我慢をして、家の財産の範囲にとどめることが大切だ。身体の安逸奢侈を願うこともまた同じ。好きな酒を控え、安逸を戒め、美食・美服の願望を抑え、自分の分限の内からさらに倹約して生じた余分を他人に譲り、将来に向けて譲るべきで、これを人道というのである。

二宮尊徳という人物は、有名なので名前だけは知っていましたが、「二宮翁夜話」という本を読むまで、その偉大な人物ぶりは全くと言っていいほど知りませんでした。恥ずかしい限りです。
報徳仕法という農村復興政策を指導し、江戸末期、600以上もの村の財政再建に貢献しました。この仕法の基本的な概念は、「分度」と「推譲」にありました。それぞれが「分」に応じた生活を守り、余剰分を村のため、国のため、将来のために譲る重要性を強調しています。

松下幸之助、豊田佐吉、渋沢栄一、安田善次郎など戦前生まれの日本人の精神的支柱となっていたと言われる二宮尊徳。

自分は、人道を如何に天理に近づけるかと考える傾向にありましたが、人道は天理と違うのだという指摘がとても印象的でした。現実の事に当たるには、人というものをもっともっと観察し、理解しなければならないと改めて感じました。また、この報徳仕法、まずは、何より我が家の財政再建に活用したいと思います。

現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉 現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉
渡辺 毅

No responses yet

大人物となる五つの心得 其の五 交友を択ぶ(択交友)

2009 年 4 月 22 日 Published by noguchi under ブログ

益友と損友を見極め、積極的に益友と関わり大切にする

交友とは自分が交際する友人のことで、択ぶとは多くの中から選び出すという意味である。同じ先生の下で学ぶ人、同郷の人、年が同じくらいの人、自分と交際してくれる人があれば、みな友人として大切にしなければならない。しかし、友人には損友と益友があるから、その違いを見極めて選ぶということが必要なのである。友人の中に損友がいたら、自分の力でその人のよくない面を正しい方向へ導いてやらねばならない。だがもし益友と称すべき人があったら、自分のほうから交際を求め、どんな事でも相談して、常に兄弟のように交わるのがよい。世の中には、益友ほど巡り合うことが少なく、獲がたいものはないから、一人でも益友があったら、何をおいても大切にすべきである。

(参考:橋本左内「啓発録」

損友と益友を見極めて、損友は正し、益友とは積極的に交際せよと最後の心得にて説いています。

飲食、歓楽行楽で親しくなった友人は、普段は互いに親友だと肩を組んでも、平穏無事のときに、わが人格を向上させるための役には立たないし、問題が生じたときも、救ってくれる者でもない。このような、損友とはできるだけ会う機会を少なくし、遊興への誘惑に負けぬ強い意志をもち、馴れ合いすぎて道義心を汚すことのないように、注意しなければならない。そして、何とか工夫してその友人を正しい方向へ導き、文武に関心を持つように仕向けることも、友人としての道である。

さて、すぐに心安くなれる損友と違って、益友とは、悪いところを遠慮なく注意してくれる友人をいう。自分の過ちを指摘し、戒め正してくれこそ、自分では気がつかない誤りや不足している部分を改め補うことが、可能となるのである。そのため、益友からそのような忠告を受けることを嫌ってはならない。

良い友人は良い友人を呼び、悪い友人は悪い友人を呼びます。折角、良い友人と付き合っても、自分が自身に甘く、遊興にふけるようなら、損友だとみなされ、良い友人も離れていってしまいます。悪い友人と出会うことがあっても、自分の徳が優れたものなれば、感化は人に及ぶということがあるかもしれません。結局は、自分を磨き、高めることが基本にあり、その中で友人を求めていくということが慣用なのだと改めて思いました。

最後に、益友を見定めるポイントが五つ紹介されています。

  • 厳格で意志が強く正しいか
  • 温和で人情にあつく誠実であるか
  • 勇気があり果断であるか
  • 才智が冴えわたっているか
  • 小事に拘泥せず度量が広いか

これらは、全く自らにもそうであるかと問い続けなければならないことだと思います。
友人を選ぶ大切さを、自らを高める大切さと同様に考え、己の修養に励んでいきたいと思いました。

啓発録―付 書簡・意見書・漢詩 (講談社学術文庫 (568)) 啓発録―付 書簡・意見書・漢詩 (講談社学術文庫 (568))
橋本 左内

No responses yet

大人物となる五つの心得 其の四 学に勉む(勉学)

2009 年 4 月 21 日 Published by noguchi under ブログ

優れた人物の立派な行いを習い、実行する

学とは“ならう”ということで、優れた人物の立派な行いを習い、自らもそれを実行していくことを言う。従って、先人の忠義や孝行の立派な行いを習っては、直ちにそれを慕いまねし、自分もそうした人々の忠義孝行に、決して負け劣るものかと努力することが、学ということの第一義である。

(参考:橋本左内「啓発録」

志を立てたときの聡明さや道徳心が失われることのないように、学に励み、より志を太く逞しくするようにと述べています。

”の文字の意味を誤解している人が多い。読書し、知識を得ることが学と思っている人がいるが、そうではないと一喝し、学問の本旨とするところは、忠孝の精神を養うことと、文武の道を修業することの二つであると説いています。

本を読み、学んだ気になっていた自分を恥ずかしく思います。自ら“実行”できてこそ学んだと言え、実行が伴わない内は、それは学んだとは言えません。知っているだけでは、知っていると言えません。まさに、“知行合一”の精神を説いているのだと思います。

次に、“”、つとめるというのは、自己の力を出し尽し、目的を達するまではどこまでも続けるという意味を含んだ文字であると説明しています。何事によらず、強い意志を保ち続け、努力を重ね続けなければ、目的を達成することはできない。まして学問は、物事の道理と筋道を解釈し明らかにするものであるから、世の中の実際に役立つ学問とするには、その意志、努力、押して知るべしである。

成功者に「どうして成功したのですか?」と問うと、決まって「成功するまで続けたからです。」と返ってきます。誰でも正しい思いで、続けさえすれば、必ず実るはずなのに、実らない人がいるのは、“継続”ということができないからに他なりません。決して諦めず、続けることが、成し遂げるための唯一の答えなのかもしれません。

学問を始めたら、それを鼻にかけることなく、出世や富に心を奪われることなく、才や知を誇ることなく、自ら用心し慎むべきだと最後に忠告しています。

ついつい鼻にかけたくなってしまいがちですが、自らを戒め、修養し、世のため人のためになるよう学び続けていきたいと思いました。

啓発録―付 書簡・意見書・漢詩 (講談社学術文庫 (568)) 啓発録―付 書簡・意見書・漢詩 (講談社学術文庫 (568))
橋本 左内

No responses yet

大人物となる五つの心得 其の三 志を立つ(立志)

2009 年 4 月 20 日 Published by noguchi under ブログ

心の向い行くところを定め、絶えずその決心を失わないよう努力すべし

志とは自分の心が向かっていく先である。一度決心したからには、真直ぐにその方向を目指し、迷わず進まなければならない。聖賢君子・英雄豪傑になろうと決意したら、聖賢豪傑らしからぬところを毎日取り去る努力をすべきである。どんなに才能が足らず、学識の乏しい者でも、最後には聖賢豪傑の地位に到達できるはずである。
また、志を立てる近道は、聖賢の考え方や歴史の書物を読んで、その中から深く心に響いた部分をメモし、常に目に触れるところにおき、自分を省みることである。また、志を立てた後も、学問に励み、より一層太く逞しくすることが大切である。

(参考:橋本左内「啓発録」

一度気を奮い起こしたならば、しっかりと志を立てることが慣用だと説いています。

志を立てなければ、やる気も空回りし、どこに向ってゆけばいいのかわかりません。志を立てる上で注意すべきことは、「目標に到達するまでの道筋を多くしないことである」と言われています。道筋を一本に決定しておかなくては、まるで戸締りのない家の留守番をした時のように、盗人が方々から忍び込み、とても一人では勤まらなくなる。もっとも留守の家の番人なら、たくさん人を雇えば何とかなるが、自分の心の番人は人を雇っても意味がない。よって、自分の心を一筋に決めて、守りやすくしておくことが大切である。と例えています。

まさにその通りだと思います。
志を立てるということは、生きる道を一本に絞る覚悟であり、留守を狙う泥棒の如く迫り来る誘惑を振り払い、絶えず志が揺らがぬよう努力し続けなくては大成しません。

志は、呑気で安楽に日を送り、心がたるんでいる状態では、決して立つものではないと語っています。困難や苦悩にぶつかる。発憤して奮い立つ。書物を読んで大いに悟る。先生・友人の教えに感銘を受ける。そうなどして立ち定まります。

そんな機会を得ることができた今、志をしっかりと立て、弛まぬ努力と学習を重ね、しっかりと大成させなくてはならないと気が引き締まりました。

啓発録―付 書簡・意見書・漢詩 (講談社学術文庫 (568)) 啓発録―付 書簡・意見書・漢詩 (講談社学術文庫 (568))
橋本 左内

No responses yet

大人物となる五つの心得 其の二 気を振う(気振)

2009 年 4 月 17 日 Published by noguchi under ブログ

恥を知り、恥をかくまい、人に負けまいという強い気持ちを持ち続ける

気とは人に負けまいと思う心。即ち負けじ魂であり、恥辱を知ってそれを悔しく思う気象のことである。それを振うというのは、常にそうした心を持って、その精神を奮い立て、奮い起こし絶えず緊張をゆるめず油断のないよう努力することである。

(参考:橋本左内「啓発録」

おさな心を捨て去り、いざ学問や武芸を学び始めたら、人には負けていられないという負けじ魂が必要であると説いています。
武士は、富や出世の誘惑があっても、生死に関わる問題や、いかなる困難に直面しても、決して信念や節義をかえない大勇猛・大剛強の気象を持っていたから、人々はその意気に感動し、その忠義や勇気を賞賛して尊敬したのであり、それを士気と呼びました。

そんな気象を見習い。多くの素晴らしい先人や、友人の活躍に負けじ魂を奮い立たせ、また、自分がアクションを起こすことで、他の人へ負けじ魂を発揮してもらえるよう切磋琢磨の関係を作っていきたいと思いました。

また、「恥を知る」という日本の良き美徳が薄れていた(恥を晒す事がネタとなるなら進んで恥を晒していた)自分としては、どういう生き方が高尚であり、どういう生き方は恥を晒しているのか、しっかりと認識し、恥を晒す自分を許さず、絶えず緊張を解かないよう意識しなければならないと感じました。

啓発録―付 書簡・意見書・漢詩 (講談社学術文庫 (568)) 啓発録―付 書簡・意見書・漢詩 (講談社学術文庫 (568))
橋本 左内

No responses yet

大人物となる五つの心得 其の一 稚心を去る(去稚心)

2009 年 4 月 16 日 Published by noguchi under ブログ

子供じみた甘えた心を捨て去れ

稚心とは、おさな心のことであり、すなわち子供じみた心である。遊びに熱中し、甘いものを貪り、怠け楽な方へと流される。それらは子供だから許されることであり、13、14歳といった学を志す年齢になって、その気持ちが少しでも残っていようものなら、何をしても上達しないし、天下第一等の大人物にはなれる筈もない。立派な人物になるためには、第一番に稚心を去らねばならぬと考える。

幕末の秀才、橋本左内は14歳のときに、このように書き記しています。

自分はどうであるか。稚心を捨て去れているのか。
仕事や日常生活に甘えは無いだろうか。
楽な方、楽な方へと流されていないだろうか。

楽な方を選択してしまいがちな自分がいることを忘れずに、改めて厳しく生活していきたいと思いました。

啓発録―付 書簡・意見書・漢詩 (講談社学術文庫 (568)) 啓発録―付 書簡・意見書・漢詩 (講談社学術文庫 (568))
橋本 左内

No responses yet