二宮尊徳の教え 其の十五 堯の喜び

昔、堯という中国の聖天子は国を厚く愛し、刻苦精励して国家を治めた。国民が歌った。「井戸を掘って水を飲み、田を耕してご飯を食べる。私たちは帝の力を少しも借りていない」

堯はこれを聞いて、大いに喜んだという。普通の人間なら、恩知らずといって怒るはずなのに、「私たちは帝の力を少しも借りていない」と歌うのを聞いて喜んだというのは、さすが聖天とされる堯である。

私の道は、この堯や舜も心を悩ましたといえる大道から生まれた道である。だから、私の道に従事して刻苦勉励して国を興し、村を興し、人々の困窮を救うことがあったときも、必ず人々が「報徳仕法(二宮金次郎のやり方)の力を少しも借りていない」と歌うはずである。そしてこのときこれを聞いて、喜ぶ者でなければ、わが一門の人間ではない。よくよく謹みなされ。

(参考:現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉

まことの施しというのは、水のようなものだという教えなのでしょうか。
人に施しをした際、どうしてもその見返りや、名声を求めたくなったりしますが、尊徳先生は、堯のような姿勢が素晴らしいと教えています。

仏教の六波羅蜜にも、布施という徳を積む実践項目がありますが、無償の奉仕、提供ということを心掛けていけたらと思います。


現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉

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