二宮尊徳の教え 其の六 明日のために勤めよ

富と貧は、もとは遠くに隔たったものではない。ただ少しの隔たりである。それを分ける根本は、ただ一つの心得にある。貧者というのは、昨日のために今日勤め、去年のために今年勤める、ということをするから、いつまでも苦しんで成功しない。一方富者というのは、明日のために今日勤め、来年のために今年勤め、安楽自在で、やることは必ず成就する。

(参考:現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉

後手後手で対処するのか、先手先手と働きかけるのか、ただこの違いのみであると述べています。

ところが、世の人は今日飲む酒がないときは借りて飲み、今日食う米がないときもまた借りて食う。これが、貧窮する原因なのだ。今日薪を取って明朝の飯を炊き、今夜縄をつくって明日垣にそれを結べば、安心であり、支障をきたすことはない。それなのに、貧者のやり方は、明日取る薪で今日の夕飯を炊こうとし、明夜つくる縄を使って今日垣を結ぼうとするようなものだ。だから苦しんで成功しない。

自分自身の問題点をズバリと言い当てられた気分です。現在は、勿論明日取る薪で、今日の米を炊くようなことはありませんが、今までそのようにしてきたツケが溜まっていることには違いありません。尊徳先生のご指摘は本当に鋭く思います。

貧者は雑草を刈ろうとするとき、鎌がないとこれを隣家から借りて草を刈るのを当然のこととしている。しかし、これが貧窮から免れない元凶なのである。鎌がなければ、まず日雇い仕事をして、それで得た賃金で鎌を買い求め、その後に草を刈るべきである。この道は、ものごとの大本の大道に基づくものであるから、卑怯卑劣の心がない。これは神代の昔に天孫が豊葦原に天下られたときの神の御心である。だから、この心がある者は富貴を得て、この心がない者は、富貴を得ることができないのである。

一般論としてみると「何を当たり前のことを」と思いますが、この感覚が少し鈍っていた私としては、ハッと気付かされ、当たり前が当たり前として腹に落ちるような思いでした。何事も元手をしっかりと作らないといけません。今無いものを安易に借りたりすることが、貧富の明暗を分けていくのだという道理を忘れず、今後、明日、来年の米を食べるための働きを日々着実に行っていきたいと思います。


現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉

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