二宮尊徳の教え 其の三 水の教え・氷の教え

大道というのは、例えると水のようなものだ。よく世の中を潤して、停滞しないものである。しかし、このように尊い大道も、文字にして書物にしただけでは、世の中を潤すことなく、役立つことはない。これは例えれば水が凍っているようなもので、もとは水に違いないけれども、そのままの状態では潤すことができず、水の役目を果すことはできない。

(参考:現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉

「上善水の如し」と言ったのは老子、「人の性の善なるは、猶ほ水の下きに就くがごときなり」と言ったのは孟子。やはり、大善・大道というのは、水に例えられることが多いようです。その中で、書物・知識を氷とする心は、身が引き締まるような例えでした。

この氷となった経書(四書五経)を、世の中の役に立てるには、胸中の温気によって、その内容をよく溶かして、もとの水として用いなければ、世の中を潤せず、実に無益なものになってしまうだろう。氷を溶かす温気が胸中にないのに、氷のまま使って水の役目を果すものだと思っているのは、たいへん愚かなことだ。よく考えられよ。

尊徳は、このように門徒達を戒めています。学んだ知識を熱い思いによって、溶かすことをせず、そのまま口にしたり、文字にしてもそれは愚かなことだと注意しています。まさに自分がそうなってしまわないように気を付けなければならないことだと痛感しました。

最後に尊徳は、「だから、私の教えは、実行を尊ぶ。」と言っております。仏教の経文といい、儒教の経書といい、その「経」というのは、機織をするときの“縦糸”のことである。機織は縦糸だけでは織ることができない。実行という“横糸”を毎日織り込んでいって、はじめて役に立つのである。実行という横糸を織らずに、ただ縦糸だけでは無益なことは、説くまでもない明らかなことだろう。と、このように締め括くっています。

経書・経文にある教えは、実行(=溶かす)してはじめて水としての潤いを与えるのだということを忘れないようにしたいと思います。言っていることは立派だけど、やっていることが伴わない状態にだけは、決してならないようにと思いました。


現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉

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