老木の美 ― 長い年月をかけて「甘さ」をそぎ落としてきた姿

どうもお互い人間というものは、自分の姿が一番見えないものであります。
したがって私達の学問修養の眼目も、畢竟するに、この知りにくい自己を知り、真の自己を実現することだと言ってもよいでしょう。
実際われわれ人間は、わが顔でありながら、自分の顔を直接に見たものは、この地球上でただの一人もないわけで、見たと思っているのは、ただ鏡に映ったわが顔にすぎません。

―――森信三先生

他の動物は分かりませんが、人間はどうして自分の顔を自分で見ることができないのか。何か深い意味があるような気がしてなりません。

それは、自分のことすら自分でよく知らないということに気付け。という一種のメタファーかと思うくらいです。

上記、森先生が仰るように、知りにくい自分を知ることが修養の眼目であり、知れば知るほどに自分に落胆させられる。だから、さらなる修養を必要としていくのかなと思います。

よく、他人は自分を映し出す鏡だと言います。

肉体的にも精神的にも、自分で自分が見えないからこそ、何かを通して自分を見なければならない故に到達する一つの真理なのかもしれません。

勿論、人だけでなくすべてのものが自分の鏡だと言えると思いますが、その自分以外のものの中から如何に本当の自分を見出せるか。自分では気付かなかった、自分の甘さ、頼りなさ、情けなさ。弱さ。

人やもの、経験を通してそうした現実に気付き、そして、それらを削り取っていく作業が人生の一つの歩み方だと気付かされました。

風雪に耐えた老木には一種の芸術品のような気品がある。と森先生は仰っております。

そこには、長い年月をかけて「甘さ」をそぎ落としてきた姿があります。

最後に、森先生はこう締めくくりました。

老木には決して迂闊に接するな。
常に精神的な偉人と一脈相通ずるもののあることを見、さらにそこに、自己が生涯を通して至り求むべき終生の目標を見るようでありたい。

なんとなく感じていた老木に対する一つの疑問が解けた気がします。

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