論語の一歩奥を楽しむ

論語には、「巧言令色鮮なし仁」とか「剛毅木訥、仁に近し」など非常にわかりやすい言葉もある反面、歴史背景、そのときの状況などがわからないと意味が理解できないところもしばしばあります。

例えば、次の憲問篇の言葉は断片的で意味が少しわかりづらいです。

子、磬(けい)を衛に撃(う)つ。
簣(あじか)を荷ないて孔氏の門を過ぐる者あり。
曰わく、心あるかな、磬を撃つこと。
既にして曰わく、鄙(いやし)きかな、コウコウ乎(こ)たり。
己れを知ること莫(な)くんば、斯れ已(や)まんのみ、深ければ勵(れい)し、浅ければ掲す。
子の曰わく、果なるかな。
難(かた)きこと末(な)きなり。

先生が衛の都で磬をたたいておられたとき、もっこを担いで孔家の戸口を通り過ぎる者がいてこう云った、「心がこもっているね、この磬のたたき方は。」
しばらく経つとまた言った、「俗っぽいね。こちこちの音だぞ。自分のことを分かってもらえなければ、そのまま止めるだけのことさ。『深い川なら着物を脱ぐし、浅い川ならすそからげ』だよ。」
先生は言われた、「思いきりが善いね。だが難しいことじゃないよ。」

これは、通常の訳ですが、訳を読んでも意味がわかりづらいので、簡単に背景を説明します。

孔子は自分の理想の政治を行える国を探して諸国を放浪している過程で衛の国にいました。
しかし、衛の国の王様は孔子を形だけの家臣として迎えようとしていて、全く理想の政治には関心がありません。
そんな王様や衛の国に嘆いて、磬(けい)という石でできた楽器をたたいていました。
その音に、もっこを担いだ百姓姿のひとりの男が反応して上記のようなことを言いました。
男は、その楽器の音から、孔子は、自分を知ってくれる者がいないと嘆いていることがわかったのです。
男は陰士。山に篭って瞑想をしている世捨て人です。
「わしに添いたきゃ、渡っておじゃれ、水が深けりゃ、腰まで濡れて、浅けりゃ、ちょいと、小褄をとって。惚れなきゃ、そなたの気ままよ。」と歌いました。
つまり、わかってくれる人がいなければ、諦めればいいだけだということです。

孔子は男を「思い切りのいい人だ。」と言いました。
そして、「一身を潔くするというだけのことなら、たいして難しいことではない。難しいのは天下と共に潔くなることだ。」と最後に言いました。

ここまでくると、なるほど。と思います。

たしかに一身において潔くなることは難しくありません。
しかし、それでは潔のよい「諦め」です。

そうではなくて、天下と共に潔くなる。
言い換えれば、「天意のままに生きる」ということになるのでしょうか。。。
その意味する深さははかりかねますが、冒頭の短い言葉だけだと、言わんとするところが伝わりづらいです。

しかし、背景などを知って、また論語を読むと非常に人間味溢れた孔子や門徒の息遣いが聞こえてきます。

下村湖人の論語物語は、論語の一歩を奥を楽しめるストーリーが満載です。
入門書としてもオススメできますし、論語を一通り読んだ後だと尚楽しめる本です。

今年は、論語を表面だけ楽しむのではなく、もう一歩踏み込んで楽しめたらと思います。

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