菜根譚に学ぶ「わきまえることを知る」

卑(ひく)きに居りて而る後、高きに登るの危きたるを知る。
晦(くら)きに処りて而る後、明るきに向うの太だ露わるるを知る。
静を守りて而る後、動を好むの労に過ぐるを知る。
黙を養いて而る後、言多きの躁たるを知る。

参考:菜根譚 (タチバナ教養文庫) 吉田公平

低いところにいるからこそ、高いところへ登るのが、危険であることをわきまえる。
暗いところにいるからこそ、明るいところへ出ることが、あまりにでしゃばりすぎることをわきまえる。
静虚を守っているからこそ、活動ばかりを好むのは、やりすぎであることをわきまえる。
寡黙を守っているからこそ、多弁がいかに騒がしいかをわきまえる。

わきまえる」という言葉が最近良く耳につきます。

「身の程をわきまえる」「分をわきまえる」など「わきまえる」というのは少しネガティブな要素を持っているように一見感じます。

ポジティブな考え方がもてはやされている昨今、わきまえるなんてとんでもない。どんどん前へ出ろ。とにかく進め。と言われそうですが、一見このネガティブな「わきまえる」という姿勢は非常に大切だなと思います。

特に、自分のようにあれもこれも手をつける、そして不必要にポジティブすぎる人間に必要な能力なのかなと思います。

わきまえる。というのは一種の覚悟なのだと思います。

自分の立ち位置がはっきり定まっている覚悟の決まった人間なら、足ることも過ぎることもないように。

覚悟のある人生を過ごしていきたいと思います。

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