神奇卓異は至人にあらず

醲肥辛甘(じょうひしんかん)は真味(しんみ)に非ず。
真味は只だこれ淡なり。
神奇卓異(しんきたくい)は至人(しじん)に非ず。
至人は只だこれ常なり。

参考:菜根譚 (タチバナ教養文庫) 吉田公平

濃い酒や肥えた肉、辛いものや甘いものなど濃厚(クドイ)味は、ほんものの味(うまさ)ではない。ほんものの味は、水や空気のように淡白なものである。同様に、人並みはずれた特異な才人は、至人ではない。至人とは、ただ平凡な人である。人間も人並はずれたすばらしい才能の持ち主が、その道を極めた達人とは必ずしも言えない。達人とは、ごく普通の人の中にいるものである。

昔は偉人とは才知に溢れた人のことだと思っていましたが、今ではだんだんこのことがわかってきた(ような)気がします。

大きな成果を残す人は、一つのことに集中・覚悟して、それに一身を捧げて追求することができた人だと思います。

森信三先生も以下のように仰っております。

」を知るとは自己の限界の自覚ともいえる。随って人間も「分」を自覚してから以後の歩みこそほんものになる。だが才能のある人ほど、その関心が多角的ゆえ「分」の自覚に入るのが困難であり、かつ遅れがちである。

自己の限界を知ることで、自分は才人ではなく至人であり、だからこそ、一つの志に生きることを覚悟することができるのだと思います。そして、覚悟の決まった人間は偉大な成果を残すことができるのだと思います。

成果は覚悟に比例するものだと思っています。

自己の限界というものも、様々なことにチャレンジした結果、認識されるものであるはずなので、安易に自己の限界を決めることはできません。人は自分を実際以上に買いかぶるものではありますが、買いかぶってチャレンジした結果、自分の限界を認識していけたらと思います。そして限界の認識が「スタート」地点なのだと心得、ともかく、早くそのスタート地点に立つ努力・チャレンジを重ねなければと思います。

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