体験を通さなければ何事も体得できない-考えたら実践し、実践したら考える・格物致知の教え

水泳の先生が3年間講義をしました。
息継ぎの仕方、水の掻き方、バタ足の仕方。
なるほど良く分かりました。と、言ってドボンと水に入ったら泳げるか。
やはり泳げないかと思われます。

体験を通さなければ何事も体得できない、ということの一例です。

海の塩辛さは自ら海に入らなければわからないのと同じように。

僕がこの一年をかけて学んでいることは、人としての正しいあり方を見直すものでした。

よって人間関係にはかなり気を使っています。
(それで気を使ってたの?と思うかもしれませんがw)

今までラフに行ってきたことが随分慎重になりました。
(いや、、、まだまだ、言うほど慎重になりきれてはいませんが。)

ただ、意識してこなかったことを随分と意識するようになりました。

しかし、まだまだ配慮が足りなかったのでは?
慎重に出来なかったのでは?ということが山ほどあります。

振り返るとガッカリすることが多い毎日です。

あのときの発言はもっとこうしておけば良かった、態度はこうであれば良かったということが尽きません。

かなり窮屈です。

しかし、スポーツでも勉強でも何でもそうです。
「道」と付くものは特にですが、最初は非常に窮屈です。

そう言えば、花道君も「シュートの正しい型を覚えるときは非常に窮屈だった。」
と言っていました。

型を覚えるまでは誰でもぎこちないんですね。

だから、この状態が自然となるまで実践あるのみ。継続あるのみ。

それにしても、自分の生き方のスタイルを変えるって大変です。
今までも自分の生き方を大きく変えようと試みたことが一度ありました。
大学のときです。その時は、楽しい方向、本能的な方向、つまりは「開放」という形だったので、なんの苦痛もありませんでしたが、逆は非常に大変です。

楽してきたので自業自得ですが。

孔子の言う、

従心所欲、不踰矩(心の欲する所に従って、矩を踰えず。)

という境地に一日も早く至れるよう日々精進あるのみです。



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