西郷隆盛―器量の人物

先週、金曜は会津大学にて人間学ゼミ「西郷隆盛」の講義でした。

西郷隆盛は薩摩藩の下級武士に生まれ、16歳のときに郡方書役助となります。
郡方書役助とは、農政をつかさどる役所の事務官の補助であり、藩内のあらゆる所へ出張し、年貢(税)の徴収等も補助します。

このときの郡奉行の迫田太次右衛門利済が非常に気骨のある人物で、大きな影響を受けたとともに、重税に苦しむ農民を見て周りました。
これが、困っている人を放っておけない大器量の原点となったのかもしれません。

西郷南州翁遺訓に残された西郷さんの言葉から人物を伺い知ることが出来ます。
また、遺訓の成り立ちも西郷さんの人柄を良く表わしています。

会津の人間にも忘れられない戊辰戦争
西郷さんを中心とする官軍と最後まで闘った山形の「庄内藩士」が西郷さんの温情有る戦後処理に感激し、敵でありながら西郷さんから学ぼうと藩主・酒井忠篤はじめ鹿児島に留学し、仇敵を師と仰ぎ
その言葉を1冊の書物に纏めたのがこの遺訓です。

印象的な言葉を抜粋します。

万民の上に位する者―

万民の上に位する者、己れを慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下民その勤労を気の毒に思う様ならでは、政令は行われ難し。
然るに草創の始めに立ちながら、家屋を飾り、衣服を飾り、美妾を抱え、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられまじき也。
今となりては、戊辰の義戦も偏えに私を営みたる姿に成り行き、天下に対し戦死者に対して面目なきぞとて、しきりに涙を催されける。

人は第一の宝―

何ほど制度方法を論ずるとも、その人に非ざれば行われ難し。
人ありて後方法の行わるるものなれば、人は第一の宝にして、己れその人に成るの心掛け肝要なり。

聖賢に成らん―

聖賢に成らんと欲する志無く、古人の事跡を見、とても企て及ばぬと云う様なる心ならば、戦に臨みて逃ぐるより猶卑怯なり。

大きな人間になってほしい。というのが西郷さんの願いでした。

当時は大粒の人物が大勢いました。

自分を振り返るとどうだろうか。

あまりの小粒さに涙がちょちょ切れんばかりですが、示された人物像の一旦にでも触れえるような人物になりたいと思う素晴らしい講義でした。

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