武士道の克己―心を安らかに保つために

感情を顔に出すべからず

新渡戸稲造武士道においては不平不満を並べ立てない不屈の勇気を訓練することが行われていた。そして他方では、礼の教訓があった。それは自己の悲しみ、苦しみを外面に表わして他人の愉快や平穏をかき乱すことがないように求めていた。(新渡戸稲造)

立派な人物を評するとき、「喜怒を色に表さず」という言葉が用いられたように、日本人の美徳として感情を表面に表わさない。というものがあります。漫画の話で恐縮ですが「風の大地」の主人公は、まさにこの克己の体現者でした。

自己の感情を出さないということは、他人の感情に影響を及ぼさないようにとの配慮だと稲造先生は仰っていますが、人の感情の揺れ動きを敏感に感じ取ってしまう日本人というのは、やはり、細やかな感性の持ち主なのだと思います。

なぜ「寡黙」がよしとされるのか

新渡戸稲造男子でも女子でも自己の魂が揺り動かされるのを感じるとき、まず最初、直感的にそのことが外に表れないように静かに抑えようと努める。(新渡戸稲造)

ある若いサムライはその日記に次のように書いています。
「汝の言葉の土壌が微妙なる思想をもって働くを感ずるか。それは種子の芽生えるときならん。言葉をもってこれを妨ぐるな。静かに、秘やかに、これをして独り働かしめよ」

何かの芽生えを言葉で邪魔をしてはいけない。と忠告しています。

確かに、感動を言葉で発するとき、自己の中に湧き上がるエネルギーを内に留め熟成させることなく、外に出してしまったという感覚はあります。

幕末の志士「橋本左内」は、私塾で学び、皆で討論しているときも物静かで、何を考えているか分からなかったと言います。しかし、いざ事を起こそうとしたとき、他の皆は討論でエネルギーを使い果し、実際に事を起こせたのは左内ただ一人だったという話も「啓発録」で読みました。

心を安らかに保つために

新渡戸稲造克己の訓練はときとして度を過ごしやすい。それは思いやりの心を完全に抑えることもできる。素直な性質を歪めたり、途方もないものに変えることもできる。偏屈を生んだり、偽善を育んだり、ときには情愛を鈍感にさせたりもできる。
しかし、克己の理想は、心の安らかさを保つことである。(新渡戸稲造)

感情を出さないことや、寡黙であることの訓練は、行き過ぎると危険だと稲造先生は仰っています。

他人の感情に影響を及ぼさないように配慮することは大切だと思いますが、感情を共感することも同時に大切なことだと思います。
人情を察することも一つの情け。思いやりの心がベースにあっての克己。己に勝っても、人をないがしろにしては意味がありません。

今日の宣言
自分に克つことだけに捉われず、広く思いやりの気持ちをもって、心安らかなる境地を目指す。
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