武士道の忠義―人は何のために死ねるか

日本における孝と忠

菅原道真公に関わる物語である菅原伝授手習鑑
父(白太夫)の主君(菅原道真)に不忠であることが許されなかった松王丸は、年端もいかぬわが子を主君の幼子の身代わりとし、「われらがいとけし倅は立派にお役に立ったぞ。喜べ女房」と涙して叫んだ話はあまりにも有名です。

また、稲造先生は、武士道における孝と忠の関係を以下のように述べています。

新渡戸稲造福井と東京で教鞭をとったアメリカ人教師のグリフィスは正しくも、「中国では儒教の倫理は父母への従順を人間の第一の責務としたが、日本では忠義が優先された」と述べた。(新渡戸稲造)

新渡戸稲造頼山陽はその大著「日本外史」の中で、父清盛の法皇に対する反逆について、その子重盛の苦衷を「忠ならんと欲すれば孝ならず、考ならんと欲すれば忠ならず」と感動的に描き出した。このような板挟みの場合、武士道はためらうことなく、忠義を選んだ。(新渡戸稲造)

生命はときに主君に仕える手段とさえ考えられ、その至高の姿は名誉あるべきものとされました。
武士のすべての教育や訓練はこのことに基づいて行われました。

まさに封建道徳である忠義という徳目。
現代を生きる自分は何をもってこの武士道の忠義に代わるものを育むべきか。
当時、個人は国(藩)をになう構成部分として生まれてきました。
現代なら、国はまさに国家である日本だと考えます。
戦中の「お国のために」という言葉は、現代にも通用する武士道の忠義だと思います。
「お国のために」と公言するには、あまりにも自分は至らないことが多過ぎ、憚られます。
日本のために身命を賭す価値のある人間になれるよう、足元を良く見て、一歩ずつ成長していきたいと思います。

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