松原泰道老師に学ぶ般若心経 2/2

道元禅師曰く「仏教をならうということは、自己をならうなり

仏教思想の根本は「自分を知る」ところにあります。
と、南無の会元会長の松原泰道老師は百歳で説く「般若心経」の中で仰っております。

松原泰道老師現代人は確かに多くの知恵を身につけています。
しかし、その知恵は自動車などのヘッドライトに似て、前方を照らすことはできても自動車自体、つまり自分自身を明るくすることはできません。自分では自分が見えないのです。
また、車のヘッドライトは、車内を照らせないから車内は真っ暗で新聞も読めません。
現代人の泣き所は、外のことは一応知っても自分自身が読めないということです。
自分の心を明るく照らす室内灯の智慧が欲しいと思います。

老師は「知恵」と「智慧」は違うと仰っております。

知恵」はいわばヘッドライトで、自分の外界のことを観察する頭脳の機能(はたらき)です。
智慧」は室内灯で、自分の内部を観察する心の効用(はたらき)です。

現代人の知恵の光度は極めて高いのに、智慧の光度は、知恵に比べて甚だしく低いのではないかと指摘されました。

六波羅蜜にもある「智慧」ですが、どうも深遠で捉えどころがなく、しっくりきていませんでしたが、老師の説明で少し理解することができました。

また、主観・客観という区別は仏教にはないそうです。
その区別を超えて、観察されるそのものに成り切って観察するというのです。

芸術家の観察態度が具体例としてあげられていました。

室町期の画僧の雪舟が鶴を描いていると聞いた人が、そっと画房をのぞいたら一羽の鶴が右足をあげて立っているだけで、雪舟の影も見えなかった――

雪舟が余念を交えずに鶴に成り切って鶴を観察する態度が表象されています。

般若心経は、主人公の観自在菩薩(観音様)によって進められていきます。
観自在菩薩とは、先日もあげたように、釈尊の「観察する修業の人格化」です。

「摩訶般若波羅蜜多心経」という経題は中村元博士によると
大いなる智慧の真理を把握する肝心な心構え」としています。

主観・客観に捉われることなくよくよく物事、また己自身を観察し、その内にある真理を見つめ、般若心経をきっかけに、仏の教えをこの身に養っていきたいと思いました。

その際、何もかも切り離して個人のみのあり方を考えるのではなく、あくまで社会全体、地球全体のなかでの「あり方」を考えていきたいと思います。

PS.
先々週より、蒲生氏郷が亡き父のために建立した「恵倫寺」(曹洞宗)にて坐禅を始めましたが、結跏趺坐をすると足が痛すぎて、心を静めるどころの騒ぎではありませんでした(笑


百歳で説く「般若心経」

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